明治時代、ロシア行き航路とシベリア鉄道による渡欧経路の拠点だった敦賀へは東京新橋から欧亜国際連絡列車が運行していたという。
横浜で絹の貿易商の娘だったばあちゃんが、「福井へはよく来た」と言っていたのを思い出した。
横浜から名古屋、長浜を通って敦賀に入れば、むしろ今ほど距離感を感じないくらいだ。
「旧敦賀港駅舎」にある昔の鉄道路線を見ると、当時の人の地理感覚がダイナミックで(もちろん「植民地」があってこそだけど)、とても合理的だったように思える。
「国鉄の分割民営化」のせいでチマチマした経営になってしまったことが大きな損失だったと改めて思う。
〈敦賀〜小浜〉
敦賀から景勝地三方五湖を通って小浜までやってきた。道路が整備され、トンネルも歩道がついているので自転車にはありがたい。
これもひとえに関西電力様のおかげでしょうか。
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