ヨガ教室で、石川遼選手は部屋やトイレの掃除を自ら進んでやる、という話題になった。
オバサンたちはみんなうっとりと、
「あんな恋人、いや、息子が欲しいわね~」と言った。
「あんまりきれい好きの男ってめんどっちいな。そーゆーのってマザコンっぽくね?」
と、私が思ったままに言うと、「それは違う!!」と大反撃にあった。
30代の男の知り合いにこの話をし、さらに同意を得ようと
「なんかさ、トイレの汚れを気にする男って、ママの言いつけ通りおシッコ座ってしそうじゃない?」
と聞くと、彼は神妙な顔で
「え?オレ、座ってしますよ」と言った。
私は「男は小便は立って、遠くまで勢いよくとばすべき」みたいなマッチョを求めているワケでは決してない。
彼は結婚してから座ってするようになったと言う。
「だって掃除をするのもタイヘンですし」
「自分で掃除をするから、汚したくない」
「座って小」は男女共同参画の影響か!?
もちろん、家事労働を家族で分担するのはきょうび当たり前。汚さない、という予防措置をとるのはきわめて合理的だ。
とはいえ、今までの排泄スタイルを誰かに言われて変えるのは、ちょっとそれでいいのかい?と思うのだ。
かつて、脳梗塞をわずらった父が、ふらつく足下にかかわらず立って小用を足すため、そのたびに便所を汚して困っていた時期があった。
母が「座ってしてくれ」と言っても、父は男のコカン、いや、コケンに関わるとばかり、立ってした。
脚が弱り、介助が必要になるとようやく座ってくれた。
やがて便所まで歩くことができなくなり、最後はオムツになった。
今になって、「後ろ向きになって座る」という動作が、しんどかっただけではないか、と父の姿を思い出す。
排泄のスタイルには身体状況によって様々であっていいのではないだろうか。
そんな話を夕食中に夫としていた。夫は黄金色の豆腐の澄まし汁をすすりながら、
「立ちションもできずに真の国際人になれるか! 座ってできないくらいのきたない便所なんていくらでもあるぞ! いや、そんな国の方が多いんだ! グローバル時代にこそ立ちションだ!」と色めきたった。
いかなる環境にも適応が求められるグローバル時代。
石川選手もトイレの汚れなど気にしている場合ではない。
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