手紙をお棺に入れて欲しい、と言うと、姪っ子で県議のエツ子さんが、
「弔辞として読んで」と気遣ってくれる。
過分な申し出にただ、恐縮というか、困ってしまった。
断るべきだと思ってたけど、ご親族が「そうしてあげて」と言ってくださるので、これ以上固持するのも…と、初めて「弔辞」を読むことに…。
葬儀場では私の席が用意されている。
まわりは「アキオ」の会社時代の知り合いが。
銀行マンらしく、みなさん身なりが板に付いてる。
新聞で見たことのある人もちらほら。
祭壇も立派。供花も企業やエライさんの名前がズラリ。
お坊さんもいかにも位の高そうな人。
「アキオ」がボンボンで、エリートだったことがわかる。
そんな所で私は明らかに場違い。
でも、私みたいな「場違い」がいてこそ、アキオさんの人柄も表れるものだろう。
葬儀が終わり、アキオさんを見送って、3歳年上のお兄さんにあいさつした。
アキオにそっくりなお兄さんは、アキオにそっくりな声で
アキオのマネをして、「ご主人によろしく」と、おどけた。
サバけた感じが家風にあるのだろう。
お兄さんもすごく悲しいはずなのに、 「そっくりですね」というと
「そうですか」と、うれしそうに笑っていた。
タケ子、バンバン、ナカノ夫妻と集まった。
バンバンは私に歩み寄り涙目で
「弔辞、良かったよ。ボクの時も読んで!」と言う。
「うん。わかった。あんなことやこんなこともバラしていい?」と聞くと
「ええっ!?」とのけぞる。
「じゃあ過去の歴史を美化した方がいい?」
「うん!ちょっと修正してっ!」
歴史教科書問題に関わりながら、自らの歴史認識は修正・美化。
妻に「年齢的につぎはアナタよ」と「宣告」され、「グゥ」の音もでないマサアキ氏といい、
現実はどうしようもなく悲しいけれど、こうやって「死」を身近に分かち合えることができるのがなぐさめだ。
行けばいつでもそこにいて、たしなめてくれる人を私はまた一人、失った。
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