ネギがたっぷりあるから「白菜たっぷり参鶏湯風」をつくり、鬼コーチに怒られないように、副菜としてニンジンスティックとコンニャクを添えた。
自分のつくる料理なんて、それほどおいしくはない。栄養だって、惣菜の豊富な飲み屋にはかなわない。なのに、飲み屋通いは3日に1度に抑えようと意地になっている。
なぜだろう? と考えると、自分の意思と関係なくつくらされてるとしか思えない。
でももし料理をつくらなかったら、とっくの昔に心が崩れていたろうな。
アマゾンプライムで「フラガール」があったから、昨夜ふとんのなかでiPadで見た。
福島の常磐炭坑の昭和40年を舞台にしたドラマは2006年に見た時も感動したけれど、今回はその時以上に涙が止まらなくなった。
中学を卒業して幼い弟や妹を養うサナエが「ダンサー募集」のチラシを見て、友だちのキミコを誘って入門する。だけど、炭坑の合理化によってサナエの父は馘首され、夕張に転居することに。ダンサーへの夢があと一歩のところで潰えてしまったサナエは練習に明け暮れた日々のことを「今までの人生で一番幸せだった」と言った。
幸せってほんの一瞬なんだ、それが輝くほどあとの人生はつらいのだけど、一瞬の輝きは何にも増して大事なんだなあ……と、感じてしまったんかなあ。
ほかにもすばらしい場面はいくつもあるのだけど、ヒロインでもないサナエの場面が一番印象に残った。
2006年に見た時は以下のような感想を書いていた。
あまりよくない意味で「客観的」だったな。
■フラガール 200610
久しぶりに涙がぼろぼろこぼれる映画だった。
舞台は昭和40年の福島県の炭鉱の町。
各地で炭鉱が閉鎖され、ここでも大合理化がはじまる。炭鉱のかわりに、観光客を呼べる施設をと考えたのが「ハワイアンセンター」という脳天気な企画だった。ダンサーはすべて炭鉱の女たちにするという。
江戸時代から、一生で穴をほって暮らすのが当たり前だったから、ほとんどの人が反発する。「天皇陛下も来た山だからつぶれるわけがねえ」と。
中卒で幼い兄弟を養う女の子が1人、「ダンサー募集」のポスターを見て「ここから抜けだしてえ」と、親友を誘って申し込む。
先生は、SKDにいたというダンサーだ。モダンな服装でのんだくれた「都会の女」だが、実は身内の借金で追われる身だった。
踊りを熱心にまなぼうとする2人に刺激され、次第にもりあがり、生徒も増え……。
だけど、言い出しっぺの女の子は、父がクビになって北海道の夕張に行くことに。ダンサー仲間の父親は落盤事故で死亡する……。
そんな重い状況のなかで、涙をみせるな、いつも笑え、という強がりが痛いほど哀しい。そういう背景があるからコミカルな展開がひきたつ。
あのとき、あの時代、炭鉱の町では確かな実感をもって人々が生きていた。組合があって、心のよりどころになって、仲間の死をみんなで耐え、崩れ去ろうとするヤマで必死になってあがく人びとがいて……。
かつて訪ねた夕張炭鉱で出会った、貧しくて野卑だけど、やさしくて涙もろい下請け炭鉱夫の人たちの姿を思い出す。
いま私たちは、そんな「生きる実感」をどれだけ感じているだろう。
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