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智恵子の安達太良山 「ほんとの空」は死の国だった?
仲睦まじい2人の透明感 「あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川」 高村光太郎の「樹下の二人」は中学時代に魅せられて暗記した。 でも福島に通いはじめて、地元の人は「安達太良山」と呼ばず「乳首山」と呼んでいると知り、なぜ光太郎はよそもの言... -
中央構造線はパワースポット 伊那
悲劇の高遠城と藩校 諏訪から峠を越えて、桜で有名な高遠城を訪ねた。武田家の悲劇の城で知られている。 武田勝頼の異母弟、仁科盛信以下3000人が守っていた高遠城に、織田信忠の5万人が殺到した。信忠は盛信に降伏を勧告したが拒否し、使いの僧侶の耳... -
「清らかな伊勢」明治の「文革」の副産物
かつて新聞記者として勤務した出雲(島根県)と熊野(和歌山県)は神話の時代から深くつながっていた。ぼくが育ったさいたま市の氷川神社は出雲系ゆえに「大社」になれなかったともいわれる。死の世界を感じさせる出雲・熊野から見た伊勢は明るく清らか... -
熊野古道・紀伊路⑫津波を防ぐ島は神様(切目~田辺)
みかんから梅へ 切目神社(印南町)の鎮守の森から下るとすぐ切目の町だ。仕出し屋やたばこ、パチンコ、接骨院……ほとんどシャッターを閉じているが、にぎやかな時代があったのだ。 切目駅で紀勢線の線路をくぐり、急坂をのぼりつめた海を望む稜線に中山... -
熊野古道・紀伊路⑪鰹節発祥の地(塩屋~印南)
切り花と民間信仰の道 御坊市の海沿いの塩屋地区の光専寺には、樹高14メートル、幹周6メートル超、推定樹齢600年以上というビャクシンの巨樹がそびえる。竜巻が渦巻いて空に吸い込まれていくような形状で、大蛇になった清姫を彷彿させる。 観音山の坂を... -
熊野古道・紀伊路⑩二階王国を震撼させたふたつの選挙(御坊駅~塩屋)
悲劇のテロリストの墓 6月初め、1カ月ぶりに御坊駅におりると、0番線に1両だけの気動車が停まっていた。かつて「日本一短いローカル私鉄」として鉄道ファンに注目された紀州鉄道だ。街外れにある紀勢線御坊駅と御坊市街地を結ぶため1931年に開通し、現在... -
熊野古道・紀伊路⑨巨石も森も神だった(湯浅〜御坊)
神仏習合の大権現 約20の風車がくるくる回る山に向かって歩いていると、田んぼから今年はじめてカエルの声が聞こえてきた。 津兼(井関)王子跡は、阪和自動車道広川インターの建設工事で消滅したが、インター脇に碑が立っている。 旧道沿いを10分た... -
熊野古道・紀伊路⑧峠道から醬油の町へ(拝ノ峠~湯浅)
巡礼の墓 拝ノ峠から少し歩くと有田市に入る。尾根から下ると、蕪坂塔下王子跡、太刀の宮(かつての道祖神)、「爪かき地蔵」とつづく。「爪かき地蔵」は自然石に阿弥陀仏と地蔵を線刻している。室町時代の作だが、弘法大師が爪で描いたと伝えられている... -
熊野古道・紀伊路⑦みかんの原種は常世から(海南〜拝ノ峠)
熊野が発祥「鈴木さん」 早朝の海南の町は朝靄にけぶっている。古びた商店がならぶ旧街道を、緑の屏風のようにそびえる山へ向かう。 藤代神社への途中、左手の山道に分け入ると、十番、十五番……と刻まれた石仏が斜面にならんでいる。ミニ四国八十八カ所... -
熊野古道・紀伊路⑥埋蔵金と出雲の不思議(布施屋〜海南)
山を掘ったら…… JR和歌山線の布施屋(ほしや)駅におりると、低く垂れこんだ曇から時折雨粒が落ちてきた。 山に向かって住宅地を進んだ三叉路に、お堂やスタンプ台を備えた川端王子跡があった。 左手の高積山(237メートル)はてんこ盛りのごはんみた...