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熊野古道・紀伊路8 みなべ〜田辺

みなべ町役場から12時すぎに出発する。

三鍋王子まで-9

線路をわたって、駅方面に向かうと三鍋王子だ。

三鍋王子まで-6

明治の神社合祀で鹿島神社に合祀された。小栗判官にまつわる小栗井戸もある。
商店街に「封じ梅」という商品を売る菓子店?がある。しその葉で包み、砂糖漬けにしたものらしい。

南部高校まで-4

梅の菓子ってけっこういろいろあるのかも。そもそも、梅の実じたいを「菓子」として食べていた時代があったのだ。

南部高校まで-5

駅前通りを抜けると南部高校だ。住宅や商店の合間に梅畑がある。

鹿島神社まで-2

道が狭まってまもなく鹿島神社に着く。

鹿島神社まで-8

広い境内に馬の像が2体ある。
昭和10年に青銅製の神馬像が奉納されたが、戦争で供出され、その後再建された。

鹿島神社まで-4
神社では8月1日に400年来、花火祭りが開かれている。宝永大地震の大津波で、この沖合で高波が2つにわかれて、南部では荒波がしずまった。1708年に感謝の祭りが開かれたのがはじまりという。140年後の嘉永年間の津波でも安泰だった。神様のおかげ、ということになっているが、なにか他の理由があるのではないか〓。
戦争中の昭和17年から21年までは花火はできなかった。昭和21年の南海道地震でも被害は軽微だった。その感謝もあって昭和22年に花火大会は復活した。

国道の朝日楼まで-14

朝日楼という旅館?のところで国道に出る。陸側の側道のようなところを歩く。

堺の漁港まで-7

海を望む丘の中腹をたどる。堺という集落はおちついた家並みだ。

堺の漁港まで-9

国道に出たら目の前が堺の漁港だった。
13:14、田辺市に入る。海には洗濯岩のような磯があらあわれる。

天神崎を望む海岸-3

天神崎を望む海岸-5

目の前に天神崎。大屋トンネルを抜け、川沿いに「吉田機工 モノレール」という工場がある。農作業用かと思いきや、「乗用モノレール12人乗りOK」と書いてある。

芳養王子大神社-7

こんもりした森や大木が見えたから海側に小道を入る。そこに芳養王子があった。「村社 大神社」。合祀によってこの名になったらしい。

芳養一里塚跡まで-5

国道に並行した細い道は、昔ながらのまちなみだ。床屋やタバコ屋があり、金山寺みその店がある。「芳養松原」という町名は、かつては松原があったからだろう。
床屋の青色の回転塔はだれが考えたのだろう? タバコ屋の独特の店舗のつくりはどうだろう? 歩いていると次々に疑問がわく。「あたりまえ」ではないことに、ふと気づく。

芳養一里塚跡まで-14

大喜寿司の目の前に、巨木とお堂がある。「一里塚地蔵尊」
国道に出てちょっと歩くと「牛の鼻」。すぐに芳養漁港。天神崎が目の前に横たわっている。

芳養の松林-3

この近辺には松原が残っている。なぜここにだけ松原が残っているのか。

植芝盛平出生地まで-5

14:19 植芝盛平翁生誕之地は、空き地に木が2本生えているだけ。

潮垢離浜跡まで-1

そこから脇道を右に入ると、ブランコと滑り台と砂場のある児童公園があり、その一角に石碑が3つある。一番右が「潮垢離浜跡」。大正10年の埋め立てて潮垢離の風景がなくなってしまった。碑は昭和40年に江川漁協がたてている。

潮垢離浜跡まで-4

左隣は「前田増一先生顕彰之碑」元県議らしい。昭和59年に建てられた。
さらに左には「田中竹吉翁之碑」。昭和45年建立。漁師として活躍したらしいが、具体的に何をやった人なのかはわからない。興味深い。

出立王子まで-4

国道へもどる。古びた食堂や2階部分が銭湯になっている古いビルも。昔はにぎわったのだろう。龍泉寺まで行って、行き過ぎたことに気づき、ちょっともどった。木々がこんもりとあるあたりだろうな、と見当をつけて路地を100メートルほど入ると、斜面の手前に「出立王子跡」があった。

出立王子まで-11

国道に案内板がないから地図なしにはたどり着けないだろう。

浄恩寺-備中屋と和佐大八郎墓-5

会津川沿いには「浄恩寺」がある。さっきの龍泉寺のすぐ近くだ。なぜこんなに寺が多いのか。会津川対岸が昔繁華街だったからだろうか。しかも浄土宗ばかり。この寺には「備中屋長左衛門之墓」「和佐大八郎之墓」がある。備中屋は江戸時代に備長炭をつくりだした人だ。

浄恩寺-備中屋と和佐大八郎墓-7

和佐は京都三十三間堂での通し矢で一昼夜で8133本を射た弓の名手だという。「晩年は弟の女性問題がもとで、田辺城下に幽閉され、やがて病により51歳の生涯を失意のうちに終える」とネットに書いてあった。そちらのほうが興味を覚える。

会津川-5

古道はここから川沿いに高山寺に向かうが、旧道の橋で会津川をわたり田辺の旧市街に入った。

道分け石まで-1

電気屋、酒屋、洋品店、美容院…昔はにぎやかだったのだろう。メガネ・宝石店があるのも豊かさを示している。
陶器店の目の前に道分け石がある。これは復活させたのだろう。
道が蛇行しているから方角がわかりにくい。

道分け石まで-9

呉服店前にある道分け石に到着。高さ218センチある。安政4年に建てられた。

道分け石まで-10

蟻通神社の霊樟の大木は、安政元年の地震の火災のとき、幹や枝から白水が噴出し、さらに風向きが逆転して、まちの災厄を食い止めたという。

蟻通神社まで-4

みなべの鹿島神社もそうだけど、そういう災害時の奇蹟の伝説は、その裏になんらかの意味があるのではなかろうか。

田辺の繁華街-2

飲み屋街を経て、15:15、田辺駅に到着した。(20160224) 完

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