10時半、切目駅を出発し、すぐに上り坂にとりかかる。
若宮社跡からさらにのぼり、振り返ると海。そんな高台に「中山王子神社」があった。目の前には室町時代の宝篋印塔がある。
本殿のわきに「足の宮」という小さな社があり、ミニわらじや千羽鶴がかけてある。足の病気にきくらしい。
トイレがありがたい。
今までミカンばかりだったが、ここはもう「梅」の世界だ。青い小さな梅が実っている。
農道の急坂をのぼりきると砂利道に。平らなところは梅林だが、急な斜面はやぶだ。照葉樹の藪がしげる荒れた林道を下る。ウグイスと風の音がひびいてくる。
林道の路面が荒れてきたなあと思ったら、大きく崩落していた。3メートルほど上の崩落のはじまった部分まで這い上がって反対側にうつるが、足下が崩れてひやひやした。イバラのトゲが痛い。20メートルほど斜面をたどったら、農道におりる踏み跡が見つかりホッとした。
谷間の棚田は放棄されて草が生い茂っている。山中の民家に、地下足袋を竿にさしてほしてある。
畑はイノシシよけの柵で囲まれている。梅林があらわれると道がきれいになった。
正しい道なのかどうかGPSで確認するが、少なく十方向はまちがっていない。
11:43、海を望む高台に「岩代王子」の案内板があった。まちがっていなかったようだ。
等高線に沿って無数のビニールハウスと海を眺めながら歩いて行く。
鉄道の音が下から響いてくる。ハウスではかすみ草のような花が咲いている。御坊のハウスの花とはちがうようだ。
小さな集落を抜け国道におりた。「トノハタ梅干しです」と書かれた建物からすっぱいにおいがする。
国道沿いの「有間皇子結び松記念碑」を見て、国道をくぐって海側へ。踏切をわたると、広々とした砂浜に出た。そのわきの若い松の林に岩代王子があった。
海風が心地よい。砂浜に打ち寄せるザブーンザザザザアという波音が眠気を誘う。釣り人が2人ほど、投げ釣りをしている。山を越えてこんな浜に出たら、昔は感動的だったろう。
「1427年、足利義満の側室の北野殿は、海士に絹布などを与えた」と書いてある。ここにも海士がいたのだ。男の海士なのだろうか。
岩代駅の駅前に「妙一稲荷」という社がある。のどかで、田舎の夏休みの、時間が止まったようなにおいがする。懐かしい。
海に近い高台を歩く。広々としていて、北海道を思わせる。はるか沖の貨物船まで見渡せる。なぜか黒い柵で見えないように覆っている谷がある。ゴミ処分場だった。海側のこの半島はなぜか家が少なくて、ゴミ処分場ができるほど手つかずなのだ。津波とか、地盤とか、何か理由があるのだろうか。
国道に出る直前を右に入り、梅畑のわきから山道をたどる。海を望む梅林に出た。
13:09、暗い山を下って、線路をくぐると広大な浜に砂浜に出た。アカウミガメが産卵する浜だ。砂に足をとられながら左手へ。海に注ぐ川を飛び越える。
ハマヒルガオ?の花があちこちで咲いている。砂浜の陸側に石垣が見えた。沖縄の竹富島に似ている。その石垣の上が「千里王子」だった。
千里の浜は、枕草子や伊勢物語にも出てくる。室町時代は「貝の王子」とも呼ばれ、義満の側室の北野殿は、浜で貝を拾って王子社に奉納した。浜を歩いて、貝をさがして、それを奉納して…。自然と神と生活がいっしょになった暮らしぶりがよくわかる。
古道を歩くとそういう暮らしや自然を敏感に感じる感性が見えてくる。ここもまた、すばらしい景観の王子社だ。
石段をのぼると、石仏がずらりとならんでいる。
のぼった先は「梵音閣」と記された山門がある。「千里観音」は西国三十三観音霊場のひとつだ。
石段をのぼると小さな社と海を望む展望台がある。目の前の高台にみなべロイヤルホテルがそびえている。
鉄道は谷間を走り、足下のトンネルをくぐる。イチジクが小さな青い実をつけている。紀伊路でイチジクを見るのははじめてかもしれない。
まもなく、国道からロイヤルホテルへのアクセス道に出た。
ラブホテルの看板から右手の小道へ。ラブホの裏側に「南部峠の石造地蔵菩薩像」がある。
交通の要所だから、地蔵堂や茶屋があったらしい。この地蔵は室町時代につくられた。顔が空気でふくらませたかのようで、不思議な愛嬌がある。
ところどころ湿っている農道を下る。竹と照葉樹のトンネルのよう。ザワザワ、ザザーとざわめいて、ウグイスが鳴く。
下りきると線路に出た。梅干しの工場があちこちにあって、酸っぱいにおいが漂う。
南部川を左岸にわたって、上流側へ。まもなく右手のまちに入る。土蔵や格子戸のある立派な屋敷が多い。
昔は備長炭の問屋だったのだろうか。ひときわ大きな屋敷の表札には「三前伊平」と書いてある。みさきと読むらしい。
「なんば焼」の店がいくつもある。この周辺では、かまぼこをなんば焼きと呼ぶ。
14時半、三鍋王子神社に到着。
さらに町役場まで歩き、歩行距離は15.1キロになった。(つづく)
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