JR御坊駅のゼロ番線から紀州鉄道の電車に乗った。
ワンマンカーで、ディーゼルのにおい、細かい振動が懐かしい。住宅の密集するうねうねと曲がりながら進む。
キキー、キシーンと線路と車輪がきしむ音がする。東京の地下鉄の丸ノ内線を思い出す。
終点の西御坊駅は小さな駅なのに、おばちゃん駅員がいる。
8時15分発。天田橋を渡り、河口の葭原と、火力発電所の煙突を眺めながら歩く。第二火発ができなかったのはよかった。
30分で、前回の終点の塩屋王子(美人王子)。この王子の石段の途中まで津波がきたというから、集落のほとんどが浸水したのだ。
塩屋小をすぎるとすぐに「南塩屋」にはいった。
光専寺。県指定文化財のビャクシンは樹高14メートル、幹周最大6メートル超。樹齢はおそらく600年以上という。竜巻が渦巻いて空に吸い込まれていくような奇怪な幹だ。
国道と並行する山際の小道をたどっていくと、ガーンという鐘の音が断続的に響く。イノシシの罠の檻がある。まもなく左手にお堂が見えた。
線香のにおいがする。何人が集まっている。おじさんが時折鐘をたたいている。祭りだろうか。
国道をちょっと歩いて、今度は海側の小道に入る。
清姫草履塚(名田町野島)。清姫が木の上にのぼって、日高川をわたる安珍を見つけたという松はもうない。80代とおぼしきおじさんは「わしらが子どものころにはもうなかったのお」。その祖父のころにはあったらしい。このへんは潮があるからミカンはできず、昔はサツマイモなどをつくっていた。「今は花や」という。スターチスが有名な全国屈指の花卉産地なのだ。いつからそうなったのか。潅漑施設の整備によるもの、と市長が言っていたような気がする。
「十三塚も見て行きなさい」と83才のおばあさん。国道をちょっともどった桜の木の下に13の塚がずらりとならんでいる。昔は南北一直線に14メートルの間隔で13の小塚があったが、昭和37年ごろの国道改修で1カ所にまとめたという。
「十三塚」とも「山臥塚」とも称し、熊野参詣に訪れた出羽の山伏一行が阿波の海賊に殺害されたため、里人が葬ったと伝えられている。花の産地らしくきれいな生花が飾られている。「毎年4月24日にはみんなでお参りして餅まきとかがあったよ」とおばあさん。今も信仰の対象になっている。
国道歩き。ハウスには紫の花が咲き誇っている。
10:14、旧道に入った名田地区の集落に、風がわりなビルがある。和歌山高専だった。
小学校が隣接し、駐在所もある。
「仏井戸」は、井戸の水のなかに仏が刻まれているという。
旧道を歩くうちに、上野王子を通過してしまっていた。
10:40、清姫の腰掛け石。その隣に大きな夏みかんが実っている。
楠井会館の前に「元気甘藷 中西翁之碑 播〓」と記された石碑がある。中西翁がサツマイモを導入したのだろうか。サツマイモが普及するまでは飢えに苦しんだのだろう。
旧道なのに、ところどころに小さな商店が残っている。子どものころ、近所の小さな文具店は、150円とか200円の小遣いをもって、プラモデルを物色するのが楽しい場所だったのを思い出した。小さな商店を再評価して活用する動きはあってもよいと思う。
11:00、印南町にはいり、国道の坂をのぼりきると、印南のまちと漁港が眼下に広がった。車で通るとちっぽけなまちに思えるが、歩いてたどりつくと「大きいなあ」と思う。徒歩の旅人には大きなまちはオアシスに見えたことだろう。
11時半、左手の高台にのぼると叶王子(津井王子)に着いた。夢が叶うの意味から「おかのさん」と呼ばれている。
「印南港」ちかくの児童公園にはトイレもある。
「かつお節発祥の地」という大きな看板があり、その下に顕彰碑がたっている。土佐や枕崎、房総、伊豆、それと地元の石が碑の足下にならんでいる。印南の3人の漁師が、それぞれの土地にかつお節の作り方を伝えたという。印南ではその後、かつお節づくりはすたれてしまった。平成27年に顕彰碑を建てた。かつお節を復活する動きなどがあればおもしろいけど。
国道に出て川をわたり、山側の集落へ。案内板を見ると、本来の古道は叶王子から集落をとおってここにくるらしい。たしかにそれのほうが自然だ。
地蔵さんがある坂をのぼり高台の集落へ。
国道わきの斜面に斑鳩王子がある。国道のコンビニの先を左手の旧道に入るとまもなく五体王子のひとつの切目王子だ。
「切目神社」となって今も生き残っている。うっそうとした鎮守の森がすばらしい。天然記念物のホルトの木がある。幹周4メートル、根廻り6メートル、高さ16メートル、樹齢300年。湯浅?の深専寺のホルトに次ぐ第二位の大きさという。徳川頼宣が植えたというナギの木もある。うっそうとしていて、鳥が時折キーキー、チンチンと甲高い声で鳴いている。
揚石(力石)は石灯籠の頭の部分のようだ。肩幅よりも大きい。持ち上げようとしたがびくともしない。
長さ3メートル、幅1メートルぐらいの巨大なまな板のような長方形の岩がころがっている。氏子が海中から、大網でしばって漁船数隻で引き揚げた。たいへんな作業だったが、活用されなかったのだろうか。重すぎて立てられなかったのかもしれない。
平治の乱のとき、平清盛はここで源義朝の挙兵を知って都に引き返した。秀吉の紀州攻めでは湯川氏とともに抵抗して焼き払われた。
12:47発。神社周辺の森を抜けると海が目の前に広がり、集落に入った。
パチンコ店の建物は売り出し中。電気店も洋品店も…シャッターを閉じている。
13:03、切目駅着。きょうは17キロちょっと歩いた。
(つづく)
コメント