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熊野古道・紀伊路3 紀伊宮原〜湯浅

紀伊宮原駅まで-13

宮原駅前には駐車場がないため、近くのJAに駐車する。日曜だからお客さんもおらんだろう。
10時54分発。すぐに有田川に出る。「天神社」がある。このへんに渡し場があったらしい。

糸我得生寺まで-2

有田川は久々の大河川だ。橋がないころの川の存在感は今とは比べものにならなかったろう。
橋を渡って土手を上流へしばらくたどってから住宅地を歩いて山に向かう。

糸我得生寺まで-4

11時14分、得生寺。中将の姫の伝説があり、本堂わきに姫の御影堂がある。無縁仏の塔がたくさんあるその裏に、独特の形の軍人墓が6,70基も2列にならんでいる。

糸我得生寺まで-8

境内にトイレがあるのはありがたい。
寺のわきに「糸賀村の一里塚」跡。紀州藩が築いた。和歌山城下まで20キロだ。キンカンの実や木蓮の大きくぼってりした白い花が美しい。

糸我稲荷神社と民俗資料館-4

「糸我稲荷大明神」という赤いのぼりが何十本もはためている。こんもりした森が立派な神社だ。鳥居に「浜エプロンのお方はご遠慮ください」と書いてある。どんな意味があるんだろう。浜エプロンってなんだろう。

糸我稲荷神社と民俗資料館-6

大きな楠は延命長寿の御利益があるらしい。

糸我稲荷神社と民俗資料館-8

神社の隣に真新しい建物がある。「熊野古道民俗資料館」。無料だ。きれいなトイレもあり、自由に出入りできる。藤原定家のたどった熊野古道を紹介する絵がある。1日に平均26キロを進んだと書いてある。帰途は1日平均52キロと書いてあるが、馬を使ったのだろう。
前回見た「爪書地蔵」の写真も。この先の糸我峠には茶屋があり、ミカンをたくわえておき、夏に売って名物になっていたという。夏までどうやって蓄えるのだろう。ミカンのありがたさ、今とは比べものにならないと思う。
「糸我郷土誌」という本が、そのへんのことに詳しそうだ。
神社の目の前に「白河法皇みくるまをよせたまひし旧跡」も。

糸我王子まで-6

神社を出てまもなく糸我王子。
江戸時代は水王子社と上王子社があったが、双方とも明治時代に稲荷神社に合祀された。1995年に「愛郷会」によって再建されたという。

糸我峠まで-1

集落を抜け、ミカン山をのぼる。その上の尾根には竹や雑木が茂っている。

糸我峠まで-5

12:05、ミカン畑をのぼりきって糸我峠に着いた。標高170メートルほど。尾根はなだらかだからミカン畑が広がっている。「万葉の熊野古道」が、右手につづき、楢原海岸まで出られるという。

糸我峠まで-11

峠を越えて20メートルほど歩くと、反対側の景色が一気に広がる。すぐ下の集落は「吉川」。そのむこうのまちは湯浅だろう。さらにむこうには屏風のようにそびえる山々がある。次回はあの山を越えることになる。大地の皺をいくつものぼりおりして熊野に向かったのだ。

逆川王子まで-1

ミカン山を下り、吉川の集落に入る。生け垣があり、家の土区画が広い。冷蔵工場の前に逆川王子社跡があった。「逆川神社」という村社になっている。

逆川王子まで-7

目の前の川はなぜか右手の海に向かわず、左に向かって流れている。それで逆川というらしい。王子社は明治43年に田村の国津神社(現在の名)に合祀された。

逆川-1

ちょっと歩くと「逆川巡礼橋」。山側に向かって川が流れていることがわかる。コンクリートでかためられているのが残念だ。
「腰掛け石」。さらに、道路の山側の斜面の下に「弘法井戸」がある。井戸は竹でふたをしてある。さびたバケツが2つある。水をたたえている。最近まで使っていたのだろうか。上はミカン畑で、肥料や農薬が流れこむだろうから、井戸水を飲むことはできないだろう。

弘法井戸-2

12:44 車道をのぼりきるとお堂がある。ここが方津戸峠(方寸峠)。湯浅のまちなみを一望できる。日高へ抜ける難所である「鹿ガ瀬峠」や湯浅と広の平野や海が見えたたため、昔はここでひと息入れたという。

湯浅の公共機関へ-3

右手の斜面をおりる。ミカン畑に墓がある。墓を畑の周縁にもっていくところと、畑のなかにおく場所があるが、どこでそれがわかれるのだろう。
平地までおりると、湯浅警察や税務署などの公共施設が集まっている。

山田川沿い-3

山田川沿いを下る。「おふろやさん」という表示があり、煙突に「ゆ」と書いてある。新しい銭湯だ。「憲法違反の戦争法反対」と書いてある「有田教育会館」の前を通り、まもなく醬油工場の煙突がいくつも見えてきた。橋を渡ると、すぐに重要伝統的建造物群保存地区だ。

湯浅街並み-5

整備されたまちなみをぶらつく。古びた商店がならんでいる。

湯浅街並み-9

立派な店構えの喫茶店、薬局、建材店、おもちゃ屋、メガネ・宝石店、フルーツフラワーハウス…とならぶ。昔の主要街道だったのだ。

古道は昭和の商店街-10

たぶん昭和30年代はこのへんが一番にぎやかだったのだろう。
「湯浅姓 発祥の地 湯浅ふるさと会 本部 0737-62-3306)と書いてある町家もあった。

古道は昭和の商店街-17

立石という大きな道標がある。「北すぐ熊野道」「東 きみゐてら」「右 いせから…」

古道は昭和の商店街-19

天保9年に建立された。紀三井寺と熊野、伊勢、高野への参詣道を表示している。

古道は昭和の商店街-22

駅に近づくと「文平の像」がある。紀伊国屋文左衛門のことらしい。

紀伊国屋文左衛門の像-1

13:46 湯浅駅に到着した。(20160313)(つづく

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