熊野古道・紀伊路を和歌山市街から一番近いJR布施屋駅から南へ歩くことにした。
布施屋は「ほしや」と読み、駅の目の前に「熊野古道」の案内板がある。
10:15分発。駅前から山方向へ進む。住宅街を抜けて、三叉路のところに川端王子跡がある。
中世にはなかったが、江戸期には社があった。明治期に合祀されている。
住宅と畑がいりまじる農村集落は柑橘の木が多い。平地が広くて豊かそうだ。
「小栗橋70メートル」という看板にしたがって踏切を越えると案内板があった。
田んぼのなかを歩き、県道をわたる。三面コンクリート張りの川がさびしい。昔はよい風景だったろうに。自転車の女の子4人ほどが田んぼの道を走ってくる。子どもが群れて遊ぶ風景は最近すっかり見られなくなった。
和佐地区の中心部。昔の村役場があったのかもしれない駐在所や郵便局、床屋、小学校と幼稚園……。こんな農村集落にも床屋がある。昔は雑貨屋も魚屋もあったのだろう。自動車が普及して、集落の自立度をいちじるしく低下した。母の実家の阿蘇の集落には40年前は2つの商店があったが、もうなくなっているのだろう。車を使えない年寄りは集落ですごしにくくなった。
堀のある豪邸があると思ったら重文の旧中筋家住宅だった。江戸期の大庄屋で、1852年築の主屋は3階建ての望楼も備えている。
今は和歌山市が管理している。10年かけて保存修理をした。5人以上の事前申請があれば見学できるらしい。だれもが見学できて、トイレがあれば、古道歩きも増えるだろうに。
二車線の車道に出たところに和佐王子跡がある。小さな公園になっていて、和佐大八郎の墓がある。田辺の寺でもこの名前を聞いた覚えがある。「松下幸之助生誕地2キロ」という案内板があった。
「矢田峠登り口」から山道へ。
巨木の根元に石積みの祠があり、おかっぱ頭のような石像がある。女人像だろうか。
5分ほどのぼると峠に出た。峠の林に石仏がある。すぐに舗装道になった。
竹林を抜け、ミカン畑を下る。
県道沿いにはハッサクやミカンの直売コンテナがあちこちにある。
集落に入るとまもなく、平緒王子跡。自治会館の前に石碑と案内板がある。
天正13年の秀吉の紀州攻めで衰退し、その後再建されたが、明治期に合祀された。
県道をわたった分譲中の新しい住宅地は坪単価11.8万円。
12:00、和歌山電鉄の踏切をわたってすぐの児童公園で休憩する。2時間歩いてはじめての公衆便所だ。女性はトイレに苦労するだろう。
ちょっと歩いた集落のなかに「須佐神社」がある。粗末な石段をのぼっていくと竹林に入る。きちんと整備されていて、ざわざわと心地よい風が吹き抜ける。
竹と雑木のしげみのなかに小さな社殿があった。高台から里を望める。梅の花が美しい。
道路から右手の山へ20メートルほど入った、大きな家の裏の棚田に奈久智王子跡がある。
和歌山市最後の王子という。棚田は蜜柑の木が何本か植えられているが、雑草に覆われている。街道に面した家も、裏から見ると荒れている。
家の壁に「強力殺虫剤ハイアース」「アース渦巻」というCM。これもまた悲しい。
高速を道路をくぐった。コウヤマキのような木があちこちにある。高野山周辺だけでなく、このへんもコウヤマキの産地なのだろうか。
ため池沿いをたどって、田んぼのなかの迂回路を歩く。ヒバリの声が聞こえる。空から舞い降りてすぐ横に移動するから、下りたところに見つからない。久しぶりにそんなことを思い出した。
田んぼから集落に入ると、素朴な鳥居と、大きなクスノキ?がある「八王子」と記されたお宮がある。まちに近いから新しい家やアパートも多く、子どもが遊んでいる。
亀の川と県道をわたり、集落の細い道をたどると、浄土真宗本願寺派の寺があった。浄土宗が多い地域で、真宗の寺は久しぶりに見た。13:30(13.46キロ)、自販機でジュースを飲んだ。朝食以来、はじめての飲食だ。
広い道に出たところに松坂?王子跡。山の斜面に掘られた穴に石積みのほこらがつくられている。
車道の坂道をのぼると、大きなため池に出た。そのわきに石畳がある。
「平成15年、県道道路改良工事で東に5メートルのこの場所に移設された」とある。石畳を移設したのだ。
ため池沿いを歩きクリーンセンターと温水プールを過ぎ、峠からちょっと進むと、海南のまちが一望できる。
そこにお堂があった。昔はここから目の前に海が広がり、その感動が「汐見峠」の名の由来となったとういう。いまはビルがならび、海はほとんど見えない。
1855年の安政の地震のとき、大津波で逃げ場を失った人々が、お地蔵様の不思議な力に呼び上げられて救われたと伝えられている。それで「呼び上げ地蔵」と呼ばれている。
峠を越えて向かい風が強くなった。それもまた海を感じる要素だったのかもしれない。
峠を下りきると、きょうはじめてのコンビニがあった。
一番山側を沿うようにして歩く。住宅地にカフェがある。「木まぐれコーヒー」という看板もあった。木材会社?の大きな倉庫の奥に喫茶店らしきものができている。
あとで調べたら、こんな紹介があった。
海南にあるカフェ「コーヒーの宿 木まぐれ」を掲載しました。レトロなお店は全てオーナー自身の手づくり。なんと家具もすべて自作だそうです。自作といってもテーブルや椅子はひとつひとつ違う技術が使われ、日本人が心地よく座れる寸法を研究して作られているという徹底したこだわりぶり。コーヒー好き、古民家好きはもちろん、家具作りに興味のある方にもおススメです
道から左にそれて春日神社方面へ。
こんもりした山をのぼっていくと、途中に小さな鳥居がある。松代王子だ。その近くの「照手鳥居」をくぐると体調がよくなるとか。
その目の前にあった「棕櫚の木」と書かれた説明文に目がとまった。
海南から野上谷一帯にかけては、家庭日用雑貨産業が盛んで、ほうきやブラシ、たわし、マット、ビニール製品、ロープ…など、全国の9割を占める製品もあるという。これらは棕櫚の産業からはじまっている。文永年間(1264~75)(なんと鎌倉時代!)有田郡の山中に自生していたものを村人が鑑賞用に植えたのがはじまり。目的をもって使われはじめるのは、弘和年間(1381~84)で、有田の結城式部が大坂や江戸に出荷したという。新葉を採取して晒葉として加工された。「海南地方家庭用品産業史」にそういう内容が書いてあるらしい。
山の上までのぼると春日神社がある。境内の左手の赤い小さな祠は「日本第一 白鬚大明神」と書いてある。
なかを見ると、タヌキ?の像がある。白鬚ってタヌキと関係があるのだろうか。なぜ「日本第一」なのだろう。
本殿にはたくさんのひな人形が飾ってある。海南全体のイベントらしい。
菩提王子跡は、建具店のわきに碑と案内板がある。早い時期に失われた王子だという。
14:50、日限地蔵院。長めの階段がしんどい。
斜面の上にあり、海南のまちを一望できる。
「身代地蔵尊」が斜面いっぱいにならんでいる。何百か何千か。
子どもを抱えた「水子地蔵尊」は赤い帽子をかぶせられている。
すぐ隣にも同じ浄土宗の寺があったが、登る気力が出なかった。
15:11、海南駅着。だだっぴろい駅前広場。味気ない高架駅だ。
特急が出たばかりだから、駅前の喫茶店でミックスジュースを飲んだ。19キロの行程だった。(つづく)
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