8時すぎに佐本深谷を出発する。朝はなにもかもがきらきら輝いている。のどかな集落では4,5人が田んぼの草刈りをしている。
草刈り機のキーンガガという音と金属のにおいが生活を感じさせる。レンゲの花が満開だ。
犬の散歩に歩いているおじさんに声をかけられた。私らが歩く道を整備した人で、きょうも散歩に行くのだという。しらばらく一緒に歩いた。
ウバメガシの幹が数十センチの高さのところで3本ほどに別れて幹が出ているのは、択伐した跡だという。言われてみれば、ほとんどのウバメガシが2,3本の幹になっている。
山の斜面が白っぽく見えるのはシイノキの花。
迷彩色のような葉はチャボホトトギス。9月ごろに小さな花が咲く。キイジョウロホトトギスほどは目立たないがそれより早く咲くらしい。
キイジョロウホトトギスのイベントを主催する会の会長で、その時期はオープンカフェを自宅で開くという。
佐本はもともと炭焼きと林業で栄えた。みんな個人主義だから、村おこしのにはなかなか協力してくれない。Iターンが10軒以上ありうち6軒が協力してくれるという。
ギンリョウソウ?
ナチシダ。コシダ。
佐本川は大きく蛇行している。行ったり来たりしているから、どちらが上流かわからなくなる。
山道のわきにオートバイが置いてある小屋があった。今はほかに住む70歳代の男性がここまでバイクで来て、猟師をしている。彼は田鶴という集落の出身だ。古座街道の道から右手に数百メートル降りたところにあり、今も廃屋があるらしい。かつては6軒あった。平家の落人伝説が伝わっている。最後は1軒だけになっていた。
ちょっと歩くと展望が開けた。この坂は矢五郎坂という。
8:40、お大師さんの像。
明治26年ごろ、俳人の天田 愚庵(アマダグアン)は全国を放浪していた。清水次郎長の弟子のような人で、幕末の志士。正岡子規に影響を及ぼした。その人が放浪の最中に古座街道も歩いたが、途中で道をまちがえて佐本には来なかった。
おじさんの愛犬の名はりこうな犬だが、先代はもっと利口で、遠くに猿をみつけるとひもをといてくれ、とせがんで、追い払いに行く。猿を追い払っていたから、近所の人にもありがたがられた。近所の人が餌をあげるものだから3,4日帰ってこないこともあった。5年ほど前にガンで死んでしまった。このへんでは伝説の犬だった。
鹿をつかまえたら、古座川のぼたん荘に1時間以内にもっていって解体してもらう。ぼたん荘がはじめる前は、みなべまで行っていた。
9:00、おじさんは引き返す。
ちょっと歩くと、杉林から自然林に。炭焼き窯がまたあった。火事にならないよう、水のあるところに窯をつくったという。
9時半、三体仏。石壇の上に3つの仏さんが立っている。背面の苔むした木とのコントラストがすばらしい。
尾根の一部がきれいに伐採されていて、展望がよい。尾根部分の古道は段築になっている。鳥がチクチクツイツイと鳴いている。トトロの森だ。
9:40、狭い山道になる。若々しいシダが生い茂り、新緑が明るくて、山全体がエネルギーに満ちていて、フィリピンのイフガオの森に似ている。
斜面に向かって石段がある。その上には3体の石像があった。奥の一体は中国の道教の老人のようなヒゲをはやしている。これが役行者像だろうか。
手前の1体は、楽器を手にしている。「役行者像と巡礼墓碑」というのはこれのことだろう。10メートルほど先の木の根元にもう1体あった。
苔むした石畳がよく残っている。しっとりした明るい緑で絨毯のよう。谷に沿って石畳や石段を下っていく。
10:13、小さな滝があった。すぐに福井谷の集落跡に出た。
杉の森のなかに、巨大な石垣が築かれている。まさに砦だ。砦をつくる技術は農民や木こりたちによって育まれていたのだ。
スギを伐採すればすばらしい眺望だろうが、スギを植えたから下草に覆われず、こうやって廃村の跡が残ったのかもしれない。
10時半、舗装道路に出た。
川沿いを下っていくと「付加体地層」があった。巨大な岩が斜めにかしいでいるよう。
道路の山側に2体の石仏がある。こういうスポットは信仰の対象になるのだろう。
まもなく、民家が点々とあらわれ、11時に長追という集落に入った。石垣が美しい。海に浮かぶ浮き玉で庭を飾っている家がある。玄関にカエルやフクロウの手作りのアート作品を飾っている。
石垣島の藻玉という巨大な豆も材料につかっている。男性は宮崎出身で石垣島に6年間住んでいた。奥さんは、田辺のカイドウ寺前のマンションの一室で足裏リフレをはじめるという。
さらに進むと、ごみを燃やしていたおじさんに「こっちは古座街道じゃないよ」と声をかけられた。大阪の人で、ここは奥さんの実家という。集落の奥に美女湯温泉があり、この集落の家は温泉を引いている。
2011年のの水害では、家は床上1メートルまで水に浸かった。ダムを放流する、という放送が流れて、避難所に移ったから無事だった
橋を渡り、急な車道をのぼって高台の集落へ。
左手の民家の庭先を通りすぎると、松の前の庚申に着いた(11:45)。こんもりした小丘の上にあり、雰囲気がよい。
ツバキの花が咲いている。
「今でも当地では初庚申が行われている」と書いてある。ほとんど全滅したとされる庚申さんの行事が残っているのはめずらしい。左には「大日如来」の石。
城の集落にもあったが、このあたりの独特の信仰なのだろうか。ここでおにぎりを1個食べた。
12:12、徳本上人碑。日高町で顕彰しようとしている江戸時代の僧だ。道路の右側に案内板があり、それらしい碑は道の反対側にあるが、内容は読み取れない。
古座川沿いまで気づかぬうちにおりていた。
瀬が近づくと、ザーザーと音がする。カヌーに乗っていたころを思い出す。「アユ釣りの時期はカヌーはここから下流で」という表示があった。
ひたすら車道を下る。12時半、端郷集落の三尾川橋。
一面クローバーの花が咲いている畑があった。緑肥のためだろうか。クローバーの活用法を調べたらおもしろいかもしれない。
12:40、蔵土多目的広場はトイレもある。ここまで12.8キロ歩いた。
車道は橋とトンネルで近道をしているが、川沿いの旧道を歩く。遠回りだけど、静かで瀬の音も楽しめる。
吊り橋を渡った蔵土鉱山跡は、説明もなにもないからどの部分が鉱山なのかわからなかった。
「クラ婆さん」の地蔵、と書いてある。このへんに住んでいた人なのだろうか。
車道にもどってすぐに「山神宮」という神社があった。13:11。
鳥ノ巣箱を庭にたくさん置いているおじさんがいる。共産党のポスターがはってあるから、もしかしたら町議ではないか。道路沿いの「下蔵土」という黒い看板もこのおじさんがつくったのだろうか。
13:18、宝篋印塔は室町後期のもので、仏教文化がこの地に浸透したことや、在地領主層が存在したことを示しているという。
空に向かって屹立する巨大な岩が下流に見えてきた。天柱岩という。
13:37、一枚岩トンネルで近道する新道を離れ、川沿いの旧道へ。まっすぐな杉で仕切られたスリットのような隙間からのぞく古座川が美しい。
道沿いにはゴーラだらけ。シイの白い花も間近で見られた。
川沿いの瘡神(かさがみ)地蔵は梅毒に関係しているらしい。
キャンプ場のような芝生の公園がある。そのわきに平屋の新しい建物が数棟ならんでいる。町営住宅だろうか。
14時。放光寺。玉砂利が敷いてある。ここの本堂も民家のようだ。なぜ紀南の寺院は民家のような本堂が多いのか。境内には数体の地蔵がならぶ。地蔵が多いのもこの地方の寺の特徴だと思う。地蔵信仰が盛んなのだろうか。
「この川にゴミ捨てる者、獄門打ち首の刑に処す 古座川代官」と書いてある家がある。
派手な看板や装飾があり、きらきら輝いている。民宿ではないが釣り好きが集まるらしい。庭に座っていた主人は黄色い服を着ている。「黄色はアユが喜ぶんや」とのこと。「香魚」と暴走族風に描いた車は豊田ナンバー。デコ車だ。この主人は釣り名人だという。
14:12 洞尾の矢倉神社。石を積み上げた石段の上に物置小屋のような小屋がたっている。
まもなく、丸太置き場。何人かが作業している。昔はこんな丸太の集積場があちこちにあったのだろう。
川を渡り、トンネルを抜けたばかりの新道と合流する。ここからは一枚岩が望める。
近づくにつれて大きくなる。巨大な隕石が落ちて半分埋まったような存在感だ。
黒々とした岩肌は重く堅そうだが、実はやわらかくて加工しやすいらしい。
14:35道の駅着。きょうの歩行距離は約19キロだった。(つづく)
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