午前9時、大附発。
バス停から橋を渡ってまもなく林道になる。ゴーラがあちこちに置いてある。
炭焼き窯を通りすぎてすぐ、右手の狭い尾根に苔むした石段がある。てっぺんまでのぼると金比羅さん。
周囲はスギなのに、お宮の周辺だけ、紅葉などの広葉樹がある。
川沿いをさかのぼり、斜面をのぼり、隣の谷の源流部をわたってさらにのぼると次第に森が明るくなり、鳥の声も近づいてくる。
9:56、法師峠着。
風が吹き抜けて涼しい。夫婦杉がそびえ、その根元にお地蔵さん。
反対側への下りは岩の上に緑のこけがふわふわしている。昔の石畳の跡かもしれない。人が少ないから苔がはえたのだろう。
道の下に立派な石積みがある。「荷車道」「明治時代の石積み」と地図には書いてある。
10:30、橋を渡って車も走れる林道に出た。ゴーラだらけのゴーラ街道だ。小さな日本ミツバチが頻繁に出入りしている。
梅もないのに、何の花の蜜を集めるのだろう。
川沿いの林道をくだるとイノシシの罠がある。「ビスコがおいてあったら、私がひっかかるわ」
10:40、舗装道路に出た。川の対岸は猪垣のようになっている。
丸太の一本橋があり、対岸に橋脚がわりの石積みがあるから昔から使われたのだろう。集落があったのだろうか。
川側の石積みは棚田の跡だろう。
10:53、慶応年間の石仏地蔵と猪垣。
杉を伐採して全貌があらわになった棚田跡がある。城のように立派な石垣もある。
しだいに谷が広がり、平地があらわれる。田んぼに水が入り、田植えもはじめている。
石垣が立派な寺が左手の高台にたっている。11:23大泉寺に着いた。
境内にお地蔵さんがならび、「山界萬霊」の碑もある。
「垣内」という地名が多いのはなぜなのか。栗垣内というのは、猪垣をめぐらせた里で栗を栽培したということなのだろうか。
昼飯としてコンビニ握り飯を1個頬張った。
広い里だ。「僻地集会所」がある。車道がつく前は、たどりつくのは大変だったろう。
同じ集落の石垣の立派な民家「福井家」を見学した。
大きな蔵もある。なぜ栄えたのだろう。大山林地主なのだろうか。
きのうから見ていた紫の花の木があった。実がなっている。
「ヘーゼルナッツや、ハゼや?」とサルは言うが…
安永の庚申さんをへて、12:06に県道の栗垣内口のバス停に着いた。
12:14、佐本の集落に入る。郵便局や床屋跡、酒屋跡、「喫茶スナック」……役場の佐本出張所もある。かつては村役場があったのだろう。
旅館らしい建物もある。JA佐本店は休んでいるのか閉鎖したのか。ガソリンスタンドもまだ経営しているのだろうか。昔の繁栄がわかるだけに静けさが際立つ。
集落を抜けると、左手にこんもりした小山があり鳥居がある。中山神社という。
参道の石橋は反り橋(太鼓橋)になっている。明治14年につくられ、地震でもびくともしなかったらしい。向かって右の狛犬は玉石をくわえている。
しかもその石が動く。ラムネのビー玉のよう。風変わりだ。社殿まで長い石段を往復する。
12:30発。目の前に学校の立派な建物があるが、すでに廃校になったようだ。
町営住宅らしい建物群があり、田舎には場違いなロータリーも。その奥の高台に臨泉寺という寺があった。
ロータリーから畑のなかの草の道をたどる。昔の道はこんなだったのだろう。
数百メートルを迂回して県道沿いの中の川口のバス停のトイレに出た。
道の左手の法面の上に観音と石仏を見学し、西の川口のバス停のキイジョウロウホトトギスの案内板を見て、左手の坂道をのぼる。
石塔や石仏、墓石があらわれた。
13:24、観岩寺。ツバメが飛ぶ鏡のような水田を見下ろせる。
境内には社もある。本堂は民家のよう。檀家の家を移築したのだろうか。
墓地は集落をみおろす高台にある。竹がザザザーと風にそよいで、落葉がパラパラと転がる。照葉樹の落ち葉はこの時期なのだ。田んぼは鏡で、若葉の山は緑の錦のようだ。
トンネルの手前から左手の山道「だんだか道」をのぼり、10分ほどで峠に着いた。
広葉樹の森は枯葉がサクサクフカフカしている。
照葉樹の枯葉は重いから飛ばないのだ。杉の森に入ると、地面が露出して堅いから足の感触で森の変化がわかる。
14:02、県道に降りた。
嘉永年間の石仏がある。すぐ深谷のバス停に着いた。
それにしてもこの古座街道。カネを落とすところがまったくない。自販機さえもたまーにあるぐらい。
ここと比べたら中辺路なんかは大観光地だ。(つづく)
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