金沢のモンベルへ。サルの寝袋12000円、ウレタンマット代わりの最新式のエアクッション7000円弱、ティーシャツ、家に置き忘れたステッキ。そんなもんを買ったら3万円弱になってしまった。テントも買いたかったがまだ25年前に買ったムーンライトがまだ健全だからやめた。
それにしても、ずいぶん長いあいだキャンプをしていない。
15時半に金沢を出て手取川をどんどん上流へ。時折、大粒の雨がふる。どんよりと曇り、ヒグラシだけが暗い林からうら悲しい声を響かせる。
大きなダム湖をすぎ、白峰温泉へ。
思ったより大きな集落だ。
宿泊は民宿「山和」へ。1泊2食で8000円×2。料理もおいしかった。
隣のテーブルのおじさんと30代の女性客と話した。女性は東京・葛飾のお花茶屋でつとめているという。それだけでびっくりなのに、実家は大宮の植竹。男性は35年前に朽木に移住し、福井県境の集落の茅葺き民家に住んでいる。朽木の伐採問題で裁判もしてきたとか。
大雨で登山口への道路は閉鎖されてしまった。夜中、ひたすら雨。朝は穏やかになっているが、道路は開通しない。
朝食のなめこと豆腐汁がおいしい。ここは縄で吊るすことのできる堅豆腐で有名であり、ナメコの産地でもあるのだ。
雨がやんだから温泉街を歩く。堅豆腐の店、公衆浴場の「総湯」もよさそう。スキー場も多いから冬の温泉は気持ちよかろう。
サルはさっそく橡餅の店に吸い込まれた。これがうまい。あんこは甘さ控えめで、もちはやわらかい。
3階建てが多いのは、冬場の雪のためだろうか。1階部分には窓が割れないようにするため板をはめこむ金具がある家が多い。
城のような高楼?のある建物がある。いったいなんでこんな豊かなのか。信仰の山で温泉があるから、だけとは思えないが。 森喜朗のポスターがあちこちにある。あれほどひどい政治家でも地元では大物なのだ。
白山登山口方面に行ってみるが、いまだ通行止め。開通を
待つ車が10台前後待機している。土木事務所に電話すると「安全性が確認されて昼頃に開通できれば、と思っている」とのこと。昼過ぎから山に登ったら、室
堂に着くのは17時すぎになってしまう。雷が心配だからあきらめる。
10時半、全長33キロの白山スーパー林道へ。昭和52年に開通し、昭和63年に拡幅した山岳道路だ。石鎚スカイラインのようなつくりだが、規模はこちらの方が大きい。
通行量は軽自動車で2000円。急流沿いに次々に滝があらわれる。徒歩20分で川沿いの露天風呂に行ける散歩道もある。晴れていれば白山の展望がすばらしかろう。
豪雨の後だけあって、福部の滝はすごい迫力だ。道路まで水しぶきが飛んできて霧雨のよう。
標高1300メートルほどの峠のトンネルを抜けて岐阜側へ。天気がよければ北アルプスも見えるという。一気に下り、昼過ぎに白川郷に着く。
世界遺産だけあって、合掌造りの3階建ての民家が数十軒もならぶ。
メインの通りはお土産屋や食堂が軒をつらねて観光客でにぎわっている。岐阜は信州なみに商魂たくましい、という印象だ。
どぶろく特区に指定され、あちこちの店でどぶろくを出している。
巨大な合掌造りの茅葺きは、葺き替えだけでも大変な手間がかかる。茅葺き屋根の寺というのも珍しい。
何世代もが同居し、ムラの共同作業が発達していないとなりたたない。
経済的基盤はいったいなんだろう?
昔は城だったという展望台から集落が一望できる。
田んぼは集落の周辺だけ。あとは森だ。
林業が盛んだったのかな。
名物のどぶろく500円を飲んだ。うまい。サルはどぶろくソフト。
県境を越えて富山側へ。
白川郷と同じく世界遺産になっている五箇山のいくつかの集落のうち、まずは川沿いにある菅沼を訪ねる。
川沿いの舌状の台地に10軒前後の家が点在する。
白川郷よりも小規模だがこじんまりしていて歩きやすい。
しだいに黄色みを増してきた水田の稲穂が華やかな彩りを添える。
10キロほど北へ行った相倉(平村)という集落は、一転して山の斜面に開けている。「管理料?」500円を駐車場で払う。
棚田が折り重なり、一部は里芋などを植えている。昔はすべて水田だったのだろう。
寺や庄屋さんの家らしき大きな建物。今どき、茅葺きの寺は珍しい。
民宿を営む小規模な合掌造り。小規模といっても1家族では大きすぎるほどだ。
山水がぼこぼこと音をたててあちこちから流れている。
用水路の池にはスイカが冷やしてある。
もとは焼き畑の集落だったため、赤かぶなども売っている。
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