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中国山地のたたら拠点(下)

 菅谷の近辺の山は、たたら製鉄で財をなした田部家が独占している。菅谷では、長男は家を継ぎ、田部家のために炭焼きなどで働くことが半ば義務づけられていた。戦後まで炭焼きの小屋として利用されていたから、高殿の建物が
残ったという。ようやく昭和40年代になって、そういった封建的な体制を改善することになり、田部家の所有物だった家屋は退職金がわりに譲り渡された。だ
が土地は田部家がいまだに所有している。
 県知事をつとめ、竹下登を金銭面で援助し、「ケンタッキー」を日本に呼び、今もローカルのテレビ局などを支配下に置いている。


 旧吉田村中心部は田部家のまさに企業城下町だった。田部家の土蔵群はその財力を示している。


 全国の最先端の工業地帯であり、そのヘッドクオーターがあった吉田村はさぞやにぎわっていたことだろう。


 その吉田村も平成の合併で雲南市の一部となった。役場職員も減り、過疎は進んでいる。


 村時代、吉田村は「たまごかけご飯」による村おこしを展開した。
 たまごかけご飯の専用醤油「おたまはん」は大ヒット商品になった。


 年に一度、全国の卵と専用醤油を味わえる祭りが催されている。
 吉田村だけではない。島根の卵はバリエーションが豊かで実においしい。

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