昨日は昼は30度を超えていたのに、大雨とともに一気に秋が訪れたようだ。
西から鳥取市に向かい、「鳥取港」という標識を見て、レイザルがいきなり興奮しはじめた。「これや。カロや」。左折して数キロ行くと、右手の大規模な漁港が。境港ならぶほどの規模だから、冬はカニの漁船でさぞにぎわうだろう。賀露という名もいかにもおいしそう。
漁港のわきにはカニやら海鮮丼やらを食べさせる店があちこちに。奧の「道の駅」風の施設に車をとめる。市場には魚だらけ。大きなノドグロがおいしそう。そのわきに食堂が2つ3つ。特選海鮮丼は1800円程度。それと白イカの定食。白イカはさすがにうまい。
鳥取市からさらに東へ15キロほどの岩井温泉(岩美町)へ。国道9号線から旧道に入ると、なんでもない田園の川沿いに温泉街がある。
チェックイン時間には早いから、さらに車を走らせると「どんづまりハウス」という標識がある。いったい何がどんづまりなのか。愛媛の酒樽村みたいなところなのか……と想像しながら、山陰道の旧道という坂道をのぼる。「ここから先、通行止め」となるまさにどんづまりに「ハウス」がある。
当然、開いてない。情報によると、近隣の女性たちが山菜などを出しているというが。このどん詰まり感はなかなか。
ちょっともどって「棚田」方面へ。コスモスが揺れて、収穫したばかりの田は新たな草が芽生えて青々としている。残暑がつづいたせいだろうか。銀山という地名があるが、正確にはこの近辺は銅山で栄えたという。
岩井温泉にもどってチェックインする。昭和のはじめまでは20軒。芸者さんがいて、三味線の音が響いた。昭和のはじめの大火で衰退し、今は3軒しかない。
旧岩井小学校は県内最古の洋風木造建築だという。玄関が突きでた意匠を凝らしたつくりだ。明治25年に建設され、大正6年に小学校が移転してからは、村役場や芝居小屋、アパート、工場などに使われてきた。
旅館・岩井屋は木造3階建て。ロビーは広々して、民芸調のイスやら家具がある。昭和11年ごろ建てられたという。部屋は2間つづきでのんびりできる。床の間の書も由緒ありそうだが、わからん。大浴場へ。浴場の窓にはステンドグラスが飾られて、ししおどしもある。源泉掛け流しで、当然のように湯を飲むひしゃくがある。
岩井屋の2県となりが公衆浴場だ。浴場の隣の「中島酒店」は立ち飲み屋もやっている。午後5時すぎると近所の人がぞろぞろ集まる。ここのお姉さんはふくよか系。
家の風呂にはめったに入らない。朝7時と夜9時すぎに公衆浴場であたたまる。家の風呂に入ると冷えて風邪をひくが、温泉だと冷えないんだそうだ。……なんて話を聞きながら豆腐をつまみに生ビールをひっかけた。
18時からは宿の食事。どの料理もこっている。
刺身は地元の魚、とくに山陰名物のモサエビがうまい。焼き魚はアラで、これはほかからの「お取り寄せ」。但馬牛のしゃぶしゃぶや最後に出てきた魚の天ぷらもおいしい。
「○○農場」とかいう風変わりな日本酒は流行にこびない、酸味もある酒だった。
今の季節は1泊2食15000円だが、蟹の季節は最低3万円なんだそうな。
食後は公衆浴場に入る。あたたまる。ぬるぬるした湯ではないが、出てからしばらくしても肌がすべすべしている。
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翌朝は大雨だ。空気はひんやり。一気に本当の秋が来た。
朝食後、まずは岩井窯へ。
吹き抜けの大きな梁のある資料館やギャラリーなどがならぶおしゃれな空間は東京風だ。資料館には中国やアジア各地の古い陶器や家具を並べている。作品づくりの参考資料だという。よい作品なのだろうけど、値段は高い。
温泉街にもどっておぐらや(岩井温泉 TEL 0857-72-0520番)へ。小椋昌雄さんという伝統工芸士が干支の人形をつくっている。小さな店の外には材料につかう木がたてかけてある。小椋という姓が示すとおり、代々木地師だったが、先代が干支人形をつくりはじめた。今は胴体などは小田原で大ざっぱに加工してもらい、ごふんや染料などは京都から取り寄せている。1体850円だが、「おじいさんがかわいい!」と、干支12体のセット9500円を購入する。入れ物の木箱がよい。来店者は消費税分を値引きしてくれた。
鳥取市内にもどり、鳥取民藝美術館とたくみ工芸館民芸美術館へ。ぎしぎしと鳴る木の床が歴史を感じさせる。目の前の医院を経営していた吉田某という医師が鳥取の民芸運動の祖なのだという。
鳥取は中心商店街が元気。「松江は負けてるやん。くやしいわぁ」。商家や茶屋風の建物も裏通り残っている。
万年筆の店に入る。石川文洋やらなんやら、ここでつくった人の名が書いてある。書きクセなどを調べた「カルテ」をつくり、それに合わせてつくる。5万円から50万円。今注文すると2年間くらいかかるという。
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