泊まったのは「マナーハウス?」とかいうイギリス風のペンション。アンティークショップも兼ねている。朝食つきで7000円。以前はペンション村で開業していたが、テニスブームのときにテニスコートをつくる土地がほしくて移ってきたという。ペンションブームから30年たって、経営者の多くも高齢化していることだろう。
朝食。大きな洋皿にさまざまな野菜や果物を飾り付けてでてくる。きれいなもんだ。イチジクもハーブもオクラも……庭でとったものらしい。牛乳とパン。けっこう腹いっぱいになる。
食堂のステンドグラスも骨董品だ。扉のステンドグラスをはめるため、家の開口部をサイズに合わせたという。すごいこだわり。
みごとに晴れているが、天気予報は午後から降水確率60%。大山にのぼるのは不安だ。宿のおじさんは「船上山に行ったらいいですよ」という。
車で20分ほど。駐車場にとめたら、おじいさん2人組がいる。87歳と86歳。戦争中は幹部候補生で100人のうち上から10人は内地に残ったが90人は南方に送られて撃沈されて死んだ。だから戦友会もないようなものという。山砲の担当で60キロもある砲を運んだ。「目標左60度……」と、いきなり腹の底から叫びはじめる。軍隊経験は彼の生きる糧になっている。近所の小学生からは「敬礼おじさん」と喚ばれているという。
船上山は独特の山容だ。高さは600メートル程度だが、その上部が刈り上げられたかのように、岩肌が露出している。半分から下はススキが茂る草原だ。数年に一度、山焼きをしているという。
頂上までは30分ほど。後醍醐天皇がここにこもったという伝説がある。しばらくここで籠城し、その後、進撃したのだ。後醍醐天皇の在所跡やら、寺坊跡やらがあちこちにある。
こけむした石塔がいくつもバラバラになって残っている。古いものは鎌倉末期という。土中にはさらに古いものもあるかもしれない。
赤碕町に住むというおじさんがのぼってくる。1,2カ月に一度は通っているといい、今回もゴミを拾いながら歩く。石塔やらなんやらについて説明してくれる。船上山神社のかわいい木の鳥居は麓の氏子がつくったもの。本堂には落書きがめだつ。
おじさん、漁師でもなんでもなく、よろず屋のようなことをやっている。船上山の案内板などはボランティアでおじさんが書いた。冬はウェットスーツを着て、長靴でのぼる。登山道からは遠く蒜山の3つの山も望める。
おじさんは祭り好きで、赤碕町の祭りでうたうホーランエンヤの歌をうたう。松江の神社仏閣もしょっちゅうお参りしている。
敬礼おじさんにしても、赤崎のおじさんにしても博識でおもしろい。
帰途、赤碕の道の駅の隣の海産物の店にはいる。ザザエビ?丼をたのむ。生のエビがごはんの上に山盛りで感動的だった。
大山は雲に覆われている。ホッとする。おかげで、住んでなければいけない船上山に行くことができた。
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