8時出発。さすがに半袖シャツの上にウィンドブレーカーでは肌寒い。
川沿いに2キロほどで国道178号にでる。すぐに桃観峠まで急な登り。
トンネルを抜けると香美町に入り、一気に下ると余部だ。
黒瓦の家々が鉄橋の下に肩を寄せ合うようにしている。
20数年前、この赤い鉄橋から列車が落下したのだ。
古い橋の南側にぴたっとくっつけて新しい橋を建設している。
駅までのぼって見る。延々とのぼる。バリアフリーどころかちょっとしたハイキングコースだ。
黒瓦の家々と青い海に白い波。
冬になると海は鈍色に沈み、空はどんよりと暗く、白い波がくだける。
さぞや重い風景だろうなあと思う。
駅では職員?のおじいさんが吹きっさらしに突っ立って、「まもなく列車が到着いたします」などと放送し、赤い旗で列車に合図を送る。
9時発。すぐまた山越えだ。
ひとつのムラと次のムラの間には必ず山や岬があり、急な登りが待っている。
トンネル2つ抜けて下りきると香住につく。
温泉の公衆浴場前にはバイクが10台以上並んでいる。
集落には宿がいくつもある。カニの季節は大いににぎわうのだろう。
海辺にあるのは香住高校。浜辺を高校生が1人ジョギングしている。
香住の町は豊かで大きい。町を抜けてすぐの今子浦のキャンプ場は、こじんまりして落ち着く浜だ。
ひと山こすと、カニで有名で温泉がある柴山にでる。さらにもうひと山?越すと「佐津駅」という看板が目にとまった。
駅方面にむかう旧道に入る。落ち着いた集落だ。
「駅」ってなんでこんなに気持ちがなごむのか。
たぶん「外」とつながる場だからだろう。
「駅」をなくすとはつまり「外」につながる場をなくすことなのではないか。
輪島は今そうなっているのではないか、と思う。「外」につながる場こそコミュニティの中心になれるという。
そう考えると、駅の大切さがわかる。
佐津の集落にはなぜか「分譲地」があった。
さらに峠を越えると安木浜。
ため息がつくほど美しい入り江と漁村の集落が次々にあらわれる。
でも、ため息がもれるほどのアップダウンのくり返し。
美しい入り江を見下ろすと、すぐ向こうにまた岬へのぼる急坂がある。
11時、豊岡市に入る。
いくつ山を越えたか。豊岡に入って最初の集落が浜須井。ここまで36キロ。
「西須井は竹野村の西端で、交通困難だった。昭和27年にやっと2メートルの道路ができた」という石碑が立っている。
周囲は絶壁の海岸。狭い浜に家々が密集している。
なぜこんなところに住んだのか、と思う。
冬、雪に覆われて車が通れなかったらいっそう孤独感が増すだろう。
集落をすぎてまた急坂をぼると岸壁に掘られたトンネルがある。
トンネルがないときはどうやって竹野方面と交流したのか。
こういう孤立した集落には平家伝説があるところが多いのだ。
まもなく切浜へ。けっこう開けている。
さらにひと山こえて竹野に入ると、川がつくった広々とした平地に田んぼが広がっている。
猫の額ほどの土地で畑をつくっている集落をいくつも見た後に広々とした田を見ると、生産力のちがいがまざまざとわかる。
11時半、竹野町の「海の幸本舗 ますだ」という店で定食680円を食べる。
ハタハタの南蛮漬け、イカと大根の煮物、豆腐とキュウリとアーモンドの和え物。
ハタハタがとくにおいしい。以前は土産物屋だったが、1年前に改装して食堂もはじめたという。
Tシャツを着た30歳台前後の女性2人でやっている。姉妹かと思ったら、「旦那の妹なんです」。
11時55分発。広々とした竹野海岸からまた急な登りにとりつき、断崖の上へとのぼっていく。
のぼりつめると、丹後半島も遠望できる。遙か下の岩に波が砕けて白く散る。前方、はるか下方に小さな集落が見える。
……ということは、そこまで下るということだ。
絶景の連続で何度も何度もとまって写真をとる。
絶景が多いということはそれだけ坂が多いということだ。
12時半、田久日という部落を通過してまた登る。と、石碑がある。
「平家部人の集落……外来の者を警戒する行事として村の入口の高所から見張り、合図を互いにかわす呼び合い、の行事が正月におこなわれている」と書いてある。とうとう落人伝説と結びついた。
ゴルフ場を越えるとあとは一気に下る。
13時、眼下に巨大なレジャー施設が見える。日和山の施設だ。
まもなくそこに降り立つ。景色はきれいだが音楽がガンガンなっている。
こりゃあかん。昭和30年か40年代の観光地の様相だ。
円山川は葦か葭があり、舟が浮かび、広々としている。日和佐から城崎までは平坦で、おまけみたいなもの。
13時半に城崎に着く。ここまでの1日の走行距離は55キロだった。ぶらぶら町中を散策したら60キロ。
走行距離は1日目90キロ、2日目80キロ、3日目60キロの230キロ余りになった。(つづく)
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