午前6時すぎに起きる。なんだかいろんな夢を見たが思い出せない。ベトナムにいるときも「朝」は外にでるのが憂鬱だった。歩き出してしまえばなんということはないのだけど。そのうち、「憂鬱さ」が勝って外に出なくなってしまうんだろうな。
8時10分出発。肌寒い。倉吉はちょっと標高が高いのかも。きのう来た道を3キロほどもどる。
きのうは日が暮れた後だから遠く感じたが、朝とおると何ということはない。
白壁と赤瓦の街並みは、市役所のすぐそば。まさに旧市街全体が街並み保存されている。
旅館、畳屋、酒蔵……建物は間口が狭く奥が深い町屋風。
ニコちゃんマーク?
古い家がフレンチレストランになっていたり、ギャラリーのようになっていたり。
整備した街並みの隣は、昭和レトロ風の商店街になっている。
江戸末期から昭和までを味わえる。
今も経済活動の拠点になっていた、バーとか食堂といった施設があるのがよい。
津和野よりもおもしろい。萩もよかったが、あそこは武家屋敷だ。それよりも倉吉のほうが「俗」なのがよい。
9時発。いったん駅前までもどり、小さな峠をこえて9時20分に東郷湖に着く。
左手の湖畔にある街が羽合(ハワイ)温泉で、右手の街並みが東郷温泉だ。
東郷温泉に向かうと、湖に大がかりな漁具「四つ手網」が復元されている。
合併で湯梨浜町という名前になったという。
湯は温泉、梨は名産品、浜はこれから行く日本海の浜。
3つを一緒にしたということか……。そんな発想で町名を決めてよいのかどうか。
まもなく国道9号に合流する。
浜辺の小浜という集落は黒い瓦の家々がめだつ。
浜にはサーフィンの若者が多い。
次々に砂浜があらわれる。小さな隠れ家的な浜には竜宮城という名の宿泊施設がある。
オレンジの瓦のラブホテルのような建物で1泊3000円だそうだ。
目の前の浜はサーフィンだらけ。
砂浜をいくつも見て白兎海岸に着いたのは10時50分。道の駅には寄らずに通過する。
鳥取市に近づくにつれ家が増えてくる。町には入らず、左手に折れて砂丘方面へ。
最後の登りをこえると、雑木のあいだから砂の山がのぞく。
11時40分。砂丘の東端のドライブインなどがある箇所に到着する。
人気があるという「梨ソフト」250円を買う。梨のさっぱりした甘みがさわやかでおいしい。
鳥取砂丘はヒッチハイクで来た20年前以来か。
砂丘の風景はかわらないが、人間はどんどん変化する。
ラクダは「記念撮影も有料です」だって。正規の許可を得た商売なのだろうか……。
12時15分発。海岸沿いを西へ。急に車が減った松林のなかの静かな道を走る。
砂よけの板を立て、マツの苗を育てている。
12時40分、岩戸浜の「網元」(福部町細川727-20 0857-75-2008)という旅館兼食堂へ。
イカ丼やら数種類の定食やらメニューは豊富だ。
海鮮丼1480円を頼む。2階の大広間は海からの風が涼しい。
丼は分厚い魚の切り身が2層3層に積み重なっている。米飯よりも魚が多いかと思うほど。
貝やイカもおいしい。境港の丼ほど繊細さや脂がのったおいしさはないが迫力で上回る。
13時半発。すぐに9号線にでて、急勾配の峠をこえる。
岩美町の街中で左折して浦富海岸方面へ。
海岸の国道178号にたどりついて右折し、ひと山こえたら東浜という広大な浜にでる。
旧道を選ぶ。駅をすぎると、1車線の狭い道になる。
集落のなかを走る落ち着いた道のあちこちに祭りののぼりがたっている。
前方からお囃子の笛や太鼓が聞こえてきた。
道路で獅子舞をやっているのだ。真っ赤なシシ。
20人ほどがのんびり眺めている。
素朴な秋祭りだ。
気分がよくなったのも束の間、すさまじい登りに入る。東浜をはるか眼下に見渡す岬で、浜に白い縞模様が幾重にも押し寄せる様子を眺めながらケーナを3曲ほど吹いた。雲は白い水彩絵の具を青空のカンバスに薄く塗ったよう。
14時半、コウノトリの絵がはいった看板があろ。県境をこえて新温泉町に入る。
居組というかわった名の漁港は独特の雰囲気がある。
YHがある諸寄の漁港は規模が大きい。海沿いに瓦屋根の家々がならぶ。
トンネルを抜けると浜坂漁港だ。今まさにイカ釣り漁船が出港しようとしている。漁港の東は海水浴場。
このルートは本当に砂浜が多い。
浜坂の町を抜けて、川をわたり、山の上にある「浜坂温泉保養荘」へ。
料理自慢の宿より、国民宿舎程度がいいや、と思って、公共の宿を選んだ。休前日のため10500円。
15時半に到着する。走行距離は83キロ。
廊下には手すりがあり、部屋は引き戸で、部屋のトイレはアコーディオンカーテンで仕切っている。
宿泊施設というより福祉施設だ。車いすでも入浴できるのはよいが。
夕食。刺身はハマチと甘エビでふつう。天ぷらと茶碗蒸しと野菜の煮付けとまぜご飯と……ふつうだが、これで十分腹いっぱいになる。(つづく)
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