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梅田から十三の途中にある「中津商店街」は、みるからにさびれているから入口を通りすぎてしまった。狭い路地にアーケードがあったようだが、両脇を残して屋根をはずしている。たしかに屋根があって暗いよりもまだましだ。
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終わった商店街のなかに入ると、芸術関係者がつくったようなおしゃれな食堂や、ネパール料理の「月と太陽」、いかにもひまそうな「多忙飯店」、レトロで不思議な雰囲気の床屋があると思ったら名前が「フシキ」……。わずか150メートルほどなのに、目を引く店がいくつもある。
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そのまんなかの古民家「コモンスペース・ハナヤ」で吉田寮の写真展をやっていた。以前は花屋だったのだろう。3,4年前に有志でフリースペースにしたらしい。今回の写真展を企画した女性も以前からここにかかわり、今は吉田寮に住んでいるそうだ。
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戦前の写真と、最近の写真を対比させていてなつかしい。
寮食堂が、私が2回生だった1986年に廃止されたとは知らなかった。演劇の練習や昼食で寮食に通っていたのは85年から86年4月ごろまでだったから、食堂が廃止されたころには寮に出入りしなくなっていたのだろう。
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乱雑な部屋のこたつにドテラの学生が2人3人とマグロのように横たわるさまは今もかわらんようだ。なつかしい学生たち。戦前の寮生たちはしゃきっとしているようにみえる。エリートのプライドのようなものがあったのかもしれない。
吉田寮にいるという欧米系の若い男と話していたら、ボヘミアンのメンバーを知っていると言う。「京都ボヘミアン物語」を進呈した。
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