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大窪寺から安楽寺のちょっと先

 天気は悪そうだから焼山寺はやめ、1番にむかうことにする。
 切幡寺までは18キロちょっと。「下りだから早い人は3時間でいっちゃうよ。若いから4時間あれば行ける」という。ほんなやろか。足が完全な調子なら可能だろうが。

 


 7時発。まだ薄暗い。田んぼや畑には白く霜がおりている。茅葺き民家もたまに見かける。長野という集落で山の端から太陽が顔をのぞかせた。谷間に靄と野火の煙が羽衣のように白く輝いている。川沿いの細い道にはいる。県道を歩くより近道になる。県道にでてふと気づくと、いつのまにか県境を越えていた。徳島にはいったことは民主党の高井美穂の選挙ポスターで知った。こうやって歩くと、地域の雰囲気が身体で理解できる。たぶんよく歩く政治家は、そういう各地の風土を身体で理解しているのだろう。

 ずいぶん里におりてきた。市場町犬墓白水という地名を越えてまもなく、左手の細い道にはいる。面白い地名だ〓。
 旧道をとおっていくはずだったのに、分岐をまちがえて県道にもどってしまう。高速道路のはるかむこうに、左から右へとつらなる山並みがうっすらとみえる。焼山寺もそのなかにあるのだろう。あの山の下あたりに吉野川が流れている。私の今いるあたりから、あの山並みまでの間の広大な平地は吉野川がつくった。歩いて山並みを見ながら歩くと、その広さが実感できる。


 高速道路をくぐりまもなく左折する。切幡寺まではまだ4キロもある。川を渡ってから旧道にはいって、さらに30分。おばちゃんの言っていた4時間を目標にして、けっこう早いペースで歩いたつもりだったが、やはり無理。切幡寺の手前の参道まででちょうど4時間かかった。参道には宿や土産物屋、屏風をつくったりする建具?の店(写真で確認)がならぶ。着いた、と思ったら、最後に333段の石段が待っている。本堂に着いたのは11時25分だった。石段をがんばってのぼった甲斐はあって、景色は良いし、山の上だから空気もよい。

  きょうは厚い靴下をはいたが、冬なのに蒸れる。左足はまだ余裕があるが、なぜか右足は靴のなかで圧迫される。昨日の薄い靴下にはきかえる。(やっぱり薄いほうが肉刺ができなさそう)
 12時出発。ここからは1番までは逆打ちになる。案内板などが順打ちに比べて少ないから、道をまちがえやすい。途中、浄土真宗の寺などを通過する。霊の存在を認めない浄土真宗は、かつてはカルト扱いだったんだろうな。日蓮宗もそうだろう。現在の創価学会のような位置づけだろうか。それはさておき、札所以外のお寺はどこを見ても質素だ。ボロボロの寺も多い。大窪寺のおばちゃんが言ってたけど、戦後直後は札所もこんな感じだったのだろう。

 九番・法輪寺は田んぼのなか。外から見ると、寺の周囲だけ、緑がこんもりしている。すぐ門前にうどん屋があるが、残念ながら休業中だった。門をでた目の前に、「名物草餅」「焼き芋」がある。食べたいが我慢する。田んぼのなかの道を北へ。中務の標石がまたあった。

 また、高速をくぐって山側へ。田んぼのまんなかに木造の門が建っている。その孤高の門が仁王門だ。門をくぐったが、車道にでてしまい、「本堂まで350メートル」と書いてある。道理で孤高なわけだ。最後は100段くらいの石段があり、けっこう長く感じた。熊谷寺には14時に着く。


 曇ってきた。明日はやはり雨なのだろう。
 むこうから大きなバックパックを背負った男性が近づいてきた。乞食遍路だろうか、と思ったら、声をかけてきた。「女体山の雪はどうでしたか」と。逆打ちで2,3日前にここを通り、温泉に1泊し、霊山寺に野宿して打ち戻ってきた。これから大窪寺へいき、女体山を越えるという。外国人のようななまりのある、元気な坊さんだ。「大きな荷物で大変ですねえ」と言うと「これがないと寂しくなるんですよ」

 旧道は生活空間としてはよいと思うのだけど、どこもさびれている。農協合併もその原因のひとつになったんだろうな、ということが、支所になってガランとした建物を見るとわかる。


(二宮金次郎の頭が弘法大師?)

 宮川内谷川をこえてすぐ、左手に公民館のような建物がある。「林観音庵いこいの家」とかなんとか書いてある。地域共同体の中心的な役割を果たす場なのだろうか。(〓門前町と地域福祉の関係)早川和男さんの話を聞いて思ったけど、やっぱり「とげ抜き地蔵」を見ないといけないかもしれない。その存在感はもしかしたら、遍路道沿いの集落の地域福祉を考えるきっかけになるのではないかと思った。〓


 小さなビニールハウス?では、キャベツを作っている。そんな畑のむこうに白いコンクリートの建物が見えてきた。十楽寺だ。
 コンクリート3階建てのビルはホテルのようだが宿坊という1階には食堂もある。本堂と大師堂とそのビルの間をこれまた近代的な大きな窓ガラスのある渡り廊下が結んでいる。そのデラックスさに驚き、あきれる。札所はやはりバブルなのだ。


 十楽寺から1.2キロの安楽寺には15時45分着。隣には土産物屋兼喫茶店がある。もしかして寺の経営だろうか。弘法大師が温泉を掘り当てたから「温泉山」という。その名のとおり、今も宿坊には温泉をひいているという。ここの宿坊もけっこう立派だ。錦鯉の泳ぐ池があり、山門も原色をあしらい鮮やか。おごそかではないが、かわいい感じではある。(本当の温泉ではない、という説も〓)


 16時発。旧道を歩く。旧道はどこも寂れている。コカコーラや金鳥蚊取り線香やオロナミンCの看板がかすれ、タバコ屋は廃業し、スーパーは消えている。


  しだいに店らしき建物が増えてくる。役場が近づいているのだ。でもほとんどあいていない。「階上娯楽堂日本一の設備を誇る 上坂温泉」とかかれた銭湯風の建物は物悲しい。「日本一」と称するくらい繁盛した時期もあったのだろうが、今は扉が閉め切られている。なぜこうなってしまったのか。


  合併が影響してるの? と〓〓に尋ねると、「もっとずっと前からすたれてしまった。今は徳島市内や鴨島まで買い物にでる人が多い」という。そもそも財政状況が悪くて合併をしてもらえさえしなかった。前の前の町長がハコモノばかりをつくったという。
 新道にでてすぐ、通り沿いに目指す民宿寿食堂はあった。16時半着。建物は新しくはないが、食堂を兼営しているから食事を期待できそう。期待にたがわず夕食は鴨鍋。いわゆる旅館飯じゃない。ふつうの鍋じゃあ驚かないが、鴨鍋はうまい。最後はうどんを入れて食べた。缶ビール2本+ワンカップ1本


■1090129 32キロくらい 

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