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直島②信仰と民俗とアートが融合する「家プロジェクト」

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崇徳上皇が「真島」を「直島」に改名?

 「つつじ荘」の朝食は、名物のじゃこ飯とじゃこ出汁のうどん。野菜のかき揚げがおいしい。大雨がやまないから、もう一度寝床にはいった。
 9時すると雨がやんだから徒歩30分の「本村(ほんむら)」まで歩くことにした。
 途中、「崇徳天皇宮」を見つけた。
 崇徳上皇は、四国遍路で何度もその名をきいた。1156年の保元の乱で敗れて讃岐に流され非業の死をとげた。恨みと祟りで後代の都人をおそれさせた。配流される際に島にたちよった崇徳にたいして、島の人々があたたかく実直だったことから、「真島」という名を崇徳院が「直島」に改名したとつたえられている。余計なお世話だ、と今なら思うけど。

 役場のある島の中心・本村にはいる。
 農協のスーパーを改装した「本村ラウンジ&アーカイブ」は、建築家・西沢立衛が空間をデザインし、インフォメーションセンターになっている。ここで共通チケット(1050円)を購入した。
 集落のあちこちの空き家を改修し、住んでいたころの時間と記憶を織りこみながら、アーティストが作品化している。
 「角屋」「南寺」「きんざ」「護王神社」「石橋」「碁会所」「はいしゃ」の7軒が公開されている。

 港町の路地をたどって「南寺」へ。かつて寺のあった場所に、ジェームズ・タレルの作品のサイズにあわせて安藤忠雄が真っ黒な寺院風の建物をたてた。
 暗闇の部屋へ手探りではいり、自分の手さえ見えない空間に5分ほどすわっていると、目の前の壁がわずかにオーロラのようにあかるくなってくる。じつは最初からその明かりはあったという。暗闇に目がなれる経緯を利用したアートだ。

 無無明 亦無無明尽(むむみょう やく むむみょうじん)
 無老死 亦無老死尽(むろうし やく むろうしじん)

 無明も無く、また無明が尽きることも無い
 老死も無く、また老死が尽きることも無い

 般若心経の一節を思いだす。
 絶対的な明るさとか暗さははない。存在があるともないともいえない。すべてはできごとの関係性で規定される……。そんな思想を表現しているとしたら作品は「寺」にふさわしい。
 仏教的な思想をアートにしようとすると、こうした建物や仏像などのモノが必要になる。では神社はどうだろうか。

森の思想とアートの融合

 南寺をでて、八幡宮の鳥居をくぐり、小高い丘にむかって石段をのぼる。クスノキの大木がそびえ、照葉樹林の木々の下に神社がある。鹽竈(しおがま)神社という小祠もある。島では戦後も流下式の製塩がおこなわれていたのだ。
 裏手の「貴船宮」が島の氏神様をまつる「元宮」だという。出雲系の祭神をまつっている。

 八幡神社から森の小径を50メートルほどすすむと「護王神社」だ。
 江戸時代からつづく神社を杉本博司が改築した。本殿と拝殿は、伊勢神宮とおなじ「神明造」。拝殿は24トンもある岡山の銘石・万成石でつくった床の上にたてられ、フィリピンから輸入した、こぶしほどもある玉砂利が手前にしきつめられている。

 本殿のガラスの階段は地下の石室につづいている。地上と地下が一体化されているのは、根の国を統べる出雲系の神々と、地上を統べる伊勢系の神々を表現しているのだろうか。

 人がいなくても、多少古びても、この空間の厳粛さはたもたれることだろう。
 寺は無住になると荒廃するが、神社、とくに社殿のない神社は、無住でも神聖な雰囲気をのこすことが多い。「鎮守の森」という極相林のなせるわざだと植物生態学者の宮脇昭さんは書いていた。そういう意味で森の思想であるアニミズムと現代アートは相性がよいのかもしれない。

ブリコラージュの「はいしゃ」の家

 集落にもどって「角屋」へ。ここが1998年に整備されて「家プロジェクト」がはじまった。200年前の家屋を、漆喰壁や焼板、本瓦の姿に修復した。屋敷の畳があるべき部分に水をはり、水中にしずめたLEDで色とりどりの数字が点灯する。宮島達男の作品だ。

 「碁会所」は、かつて住民たちがつどった碁会所の跡に、須田悦弘が建物をつくり、畳の上には木彫りの「椿」がちらばる。もうひと部屋は展示物がないと思ったら、「実はこの部屋にもアートがあるんです」とスタッフ。
 えっ? さがしても、わからない。
 部屋の一番手前にすえられた仕切りの「竹」が実は木彫りだという。

 碁会所のちょっと西には、The Naoshima Plan「水」。塩などをあつかう回船問屋で、通りに面した部分は郵便局だった。井戸を復旧し、庭に水を流し、足を水につけて涼めるようになっている。
 本村の家々は南北に庭があり、南風を家から家へうけわたすつくりになっているという。

 集落の西の端に「はいしゃ」がある。50年前まで歯科医院だった建物を、2006年に大竹伸朗がまるごと「舌上夢/ボッコン覗」という作品にした。まず門の壁にたまげる。根っこをもつ歯や金歯や銀歯が無数にうめこまれている。さすがに気色悪いが、本物の歯ではなくセラミック製ときいてホッとした。

 1階から2階までつきぬける自由の女神像があり、飲食店の看板や漁船の部品、大漁旗など、さまざまなものをくみあわせて異空間をつくりあげた。レビストロースのいうブリコラージュ的な作品だ。

 町役場近くのCafe87momoという地元の人がいとなむカフェで腹ごしらえしてから、最後のスポット「石橋」へ。

 石橋家は明治時代、製塩業で栄え、2001年まで人がすんでいた。製塩業などの島の歴史や文化をとらえるため、「場のもつ記憶」を表現する形で再建したという。
 直島は、民俗文化と神仏と現代アートがごちゃまぜになった不思議な空間だった。心身ともに満腹になって島を後にした。

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