35,6キロ、いやもっとあったかも。山道を含めてこの距離だからかなりだ。杖がなかったら無理だったろう。
5時半に起きた。茶をわかし、無料の朝食を食べ、7時10分に出発する。結果的に、茶をわかし、朝食を食っておいてよかった。夕方5時まで店にいっさい寄られなかったから。そういえばコンビニも見なかったような……
遍路道の街道まで10分ほど。街道はちょうどそこでアーケードが切れて、東方向は2車線の車道になっている。四電が足湯のサービスをやっている。
しばらくして右手の小道に入り、踏切を越え、山沿いにすすむ。「八十場の水」には崇徳上皇の遺体がくさないように水につけておいた、という伝説がある。周囲には2、3軒、ところてんの店がある。
白峰宮という大きな神社の境内に入る。大楠は樹齢500年。神社には巨樹や巨岩が多い。アニミズムの名残が興味深い。札所の高照院はいったいどこに? と、いったん神社の境内をでてみた。実は神社の端っこに納経所があり、神社の敷地をはさんで、反対側の隅っこに、本堂と大師堂があった。神社の付録のような存在だ。
国分寺までは6.3キロ。線路沿いを歩き、8時45分に鴨川駅のあたりで県道にでる。本当はここで綾川をわたらなければならなかったのに、そのまま県道33号をすすんで1キロほど大回りをしてしまった。
国道11号の高架をくぐり、本来の道と合流する。旧道にはいてまもなく国分寺に着く(9時50分)。
寺を外から見ると、あざやかな松の緑がこんもりとなっている。境内には、弁財天や恵比寿像など愛嬌のある像が点在する。松が多いと、空気がツーンと澄み渡る気がする。大師堂は納経所の建物のなかにある。「不審な男に注意を」という張り紙は寺らしくない。
ここから五色台の山上の白峰寺までは6キロ強ということだから、2時間弱、早ければ1時間半かな、と予想した。正面の山にむかう。20分ほど歩いた登山道の入口でおじさんに声をかけられる。「今からじゃ、2つのお寺へ行って下におりるころには5時になるよ」という。それから、一の宮寺の近くにある温泉がいいから、そこを予約しろ、という。女の子が午前10時に白峯寺を出て、午後5時に一の宮寺の近くの温泉に着いたという。
今からのぼれば白峰寺には12時すぎになる。温泉に着くのは7時かぁ、つらいなあ、女の子だからって俺よりペースが遅いとは限らないからなあ。上にのぼって調子を見て、温泉まで行くか、7キロ手前の鬼無の百百家旅館にするか考えることにする。
山道はけっこう急で、あっという間に汗がふきだす。パーカーをぬいで、Tシャツと綿の開襟シャツだけになる。Tシャツは、光電子だけあって、ぜんぜん寒くない。最近の新素材はすごい。
尾根に近い車道との交差点の一本松(380メートル)までのぼると、道路わきには雪がうっすら積もっている。道路の左手は自衛隊の演習場だ。こんな山の斜面で訓練をするのか。時折下からズドーンという音がするのは自衛隊だろうか、土木工事だろうか。
しばらく歩いてから、自衛隊の厩舎を通り越して遍路道と合流する。2キロほど西に下ると白峰寺だ。
12時着。思ったより早かった。山門から本堂までの石段がきつい。干支ごとにお守りやお堂をそろえ、いろいろ工夫している。山の寺はさすがに寒い。あたたかいお茶がありがたい。
自衛隊の厩舎まで遍路道をのぼりかえす。寺に近いところの丁石には47丁と書いてある。歩くにつれて、1丁ずつ数が減っていく。次の根香寺への距離なのだ。1丁は109メートルだという。
「陸軍用地」という石柱があった。瀬戸内のにらむ山は軍事的にも重要だったのだろう。
落ち葉とぬれた岩はけっこうすべる。木漏れ日がちらちらと枯れ葉をしきつめた地面をはう。雑木とときに竹林がまじる。
根香寺まで4.6キロ。アップダウンがけっこうあって、1時間30分近くかかった。
ここも山門をくぐるといったん石段をくだり、もう一度けっこうな長さの石段をのぼりかえす必要がある。本堂はさらに上だ。回廊式になっており、回廊部分に入ると、吊り灯籠の灯が何百何千とゆれている。灯籠の廊下をぐるりとまわった正面が本堂である。
14時20分発。
歩いてきた道を10分ほどのぼり返し、左手に降りる車道にはいると、眼下に海が広がる。島が点在して、音もたてずに船がすすむ。2回ほど遍路道でショートカットしてぐんぐん下る。今度は高松の町並みが眼下に広がる。平野に三角おにぎりのように点在する山々はなぜあんな形になったんだろう。
山のなかに松の苗床がある。いったい何に使うのか? といぶかっていたら、民家のある里までおりてわかった。農家にもこっちの農家にも松の盆栽が並んでいる。いったいなぜこのへんは盆栽が盛んになったのか?〓「盆栽街道」と呼ばれているという。
16時半、踏切をわたる。家と家の間の小道をはいると、お堂があったり、地蔵あったり……
飯田という地区では、公民館のような施設をたて、おへんろの接待小屋にしている。なぜこの地区の人々はこんなことをするのか。接待活動の〓動機などを各地で聴き取れば、「生き残る地区」のありよう、地域福祉との関連が見えてくるかもしれない。〓
地蔵の小さな祠はあちこちあり、花を生けられ、鮮やかな前掛けや防止などを着せている。地蔵さんを大事にする人々の心がよい。ムラが生きている証拠かもしれない。
川沿い、平屋建ての市営住宅が軒を連ねている。20棟以上あるだろう。古い建物だが、庭をガーデニングのようにしたり、部屋や物置を建て増したりと、さまざまな住まい方がある。
河川敷をひたすら歩く。3つめか4つめの橋を渡り、東へ。すっかり都市の郊外の風情である。一の宮寺への交差点をすぎてまもなく、「温泉」に到着する(17時40分)。予想よりもずいぶん早く到着できた。杖を有効に利用しているからだろう。
都市郊外型の温泉施設で、入浴料は600円。宿泊料4750円も券売機でチケットを買う。「宿泊棟は別棟になっております。いったん外にでて、右手の20メートル先にあるピンクの建物です」
いってみると、単なる4階建てのワンルームマンションだ。104号室の玄関にはいると、手前に台所とユニットバスがあり、奥が12畳くらいの和室になっている。和室の片隅には壁収容型のベッドがとりつけてある。
殺風景ではあるが問題はない。湯に入ってゆっくり足をもむ。右足の小指に水ぶくれができつつある。あすあたりしんどくなるかも。
温泉の食堂で夕食をとる。海鮮サラダ350円は、赤と黄緑と褐色(わかめ)の海藻3種と、タコなどのマヨネーズ和えがついている。安くて健康的ではある。讃岐うどんと天ぷらと寿司のセットは、寿司がサーモンとイカと……。生ビールと焼酎湯わりをたのんで計2200円。(1090126)
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