MENU

江戸の港がそのまま残る鞆の浦

見出し画像を拡大表示

 鞆の浦は1998年、尾道観光のついでに立ち寄った。
 灯台のような「常夜燈」、干満にかかわらず舟を接岸できる階段状の「雁木」、「波止場」「焚場」「船番所」……江戸時代の港湾施設が全国で唯一そろって残っていることで知られる。この港の一部を埋め立て、県道の橋を渡す計画があり、市民団体が反対していた。開発で壊される前に見ておこうと思った。
 そのときは「よく残ってるなあ。もったいないなあ」という印象だったが、くわしくは覚えていない。
 2008年に「崖の上のポニョ」の舞台になり、2012年に開発は頓挫し、2017年には重要伝統的建造物群保存地区になった。

画像を拡大表示

20数年ぶりに福山から路線バスで訪ねると、けっこうな数の観光客が歩いている。
 天然石の石畳の路地には坂本龍馬や三条実美の立ち寄った商家がならび、薬草を混ぜた「保命酒」の酒蔵もある。江戸時代からの名産だという。

画像を拡大表示

 湾の周囲には、階段状の「雁木」が残り、港の入口には常夜灯が立っている。干しているサヨリが逆光を浴びて透き通っている。
 瀬戸内海は干満の差が激しいので有名だ。四国の東西をから、太平洋の水が出入りする。その中間点が鞆の浦だから、潮待ちの港として清盛の時代から栄えたという。ここで進行方向に潮が流れる時間を待って船出するのだ。

画像を拡大表示

 そんな鞆の浦の歴史は歴史民俗資料館で知ることができる。
 錨や船釘、農具を生産する鍛冶も盛んで、現代にいたるまでその伝統を受け継いでいるという。

画像を拡大表示


 「雲んぶらん」という看板の前に行列ができている。ものは試しとならんで注文したら、モンブラン1個が1400円。ちょっとひるんだ。モンブランの下にプリン、さらに干菓子のような土台があり、栗の味が濃くておいしい。でも、1個で3人分の大きさだから、夕方まで甘いげっぷが止まなかった。
 沖合の仙酔島に渡船で渡った。
 島の最高峰の大弥山(約150メートル)にのぼると、木々の隙間から、鞆の浦の湾が望める。仙酔島と深く切れ込んだ湾が、天然の良港をつくっていることがよくわかった。(202112)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次