今回は善通寺のひとつ手前の甲山寺から。
善通寺の駅からタクシーで1020円。土砂をとるため斜面を大きく削られた山と、小さな川の間にある。建物は真新しい。
午前11時10分発。
善通寺はかつて軍都であり、乃木将軍が赴任していた。軍の赤煉瓦の建物群は、空襲にあってないから今も残っている。広大な練兵場跡もそのまま自衛隊がつかっている。軍には病院が不可欠だ。看護学校や病院もある。四国学院大という大学はキリスト教系だから軍とは関係なさそうだ。
古い街道のような雰囲気の町並みに入り、古い商家風の手作りパン屋(カタパンってカンパン?)の前を通ってまもなく善通寺に着く。(11時40分)
まずは右手の境内に入ると、大師堂などがある。参拝者も多い。線香の煙を全身に浴びて、「母さん!」と喜ぶ子供たち。こうやって信仰は受け継がれる。戒壇巡りと宝物館(500円)はパス。
いったん道にもどり、反対側(駅側)の露天がならぶ参道を抜けると、本堂や五重塔がある。本堂には、ユニークな顔をした坊さんの像がならぶ。えびすさんやら妖怪のような顔もある。
駅側の赤門の外には赤門筋という商店街があるが、みごとにシャッターだらけ。「4,50年前はほんとににぎやかで、琴電が通っていて、交差点の建物は電停だったんですよ」とタクシーの運転手は説明してくれたが、みごとに郊外店に負けてしまった。郷土資料館があったが、古墳時代とか弥生式土器ばかり。軍都としての善通寺の展示はまったくない。そういうものは乃木資料館にあるのだろうか。
閑散とした商店街を、迷彩服を着た自衛官が大きなあくびをしながらママチャリにのってとおりすぎる。迷彩服には違和感を感じるが、あくびは、いい。
駅にむかう大通り沿いにもレトロな建物がポツポツとたっている。かつてのにぎわいを感じさせる。
途中から住宅地のなかを抜ける小道に入り、線路をくぐる。住宅や農家が混在する小道をたどる。「そっちはちがうよ」「ごくろうさまです」とよく声をかけてくれる。さすが弘法大師のお膝元だ。
13時5分、金倉寺に着く。
門前には「下馬」と刻まれた石が立つ。街道沿いに古い商家風の旅館があるが、しまっている。歩く人間にとっては旅館がなくなるのはさびしいが、だれもが車をもつ時代、こういう古びた旅館に泊まる人などいなくなってしまったのだろう。市町村合併は反対だが、交通機関の発達による生活圏拡大が合併を促した面は否定できない。森嶋通夫が、武力と交通技術の発展によって「国」の大きさが定まるという内容を書いていたが、こうやってすたれた旅館をみると、しみじみとわかる。
境内にはしめ縄がまかれた巨樹がある。四国の寺は神仏が混合している例が多い。ストーブをたいた休憩所があるのはありがたい。本堂前には参拝者が金箔をはる大黒さんがある。本堂には参拝者がひっぱるとジャラジャラと音が鳴る巨大な数珠がつるされている。アイデアがおもしろい。
讃岐平野の山側にある善通寺から多度津までは、平野の小道をひたすら海側をめざす。「遍路道拡張事業」という石碑があった。田圃のなかの小道をどう「拡張」するのかいまひとつわからない。拡張よりも土道を一部でも復活してくれたほうが歩きやすいのだが。 中務茂兵衛の標石をぽつぽつと見かける。標石があるとホッとする。
多度津にはいると、新しいアパートやハイツが増えてくる。田んぼと新しいハイツと古い農家がまじった郊外を歩き、14時20分に道隆寺に着く。寺の周辺だけは昔ながらの農村の家並みがのこっている。境内には寄進された観音像が何百体とならぶ。数珠をもった指先と、肩のあたりが色っぽい。薬師さんだから、目の病気を直す御利益があるらしい。
寺の北側の県道にでて、東へ。15時20分、丸亀の中心街に入る。フィリピンのダンスバーの窓ガラスに「外国人の不法滞在を撲滅しよう」のポスターが貼ってある。不法滞在がまるで犯罪であるかのように扱い、「悪者」のレッテルを貼る。あまり気分のよい光景ではない。
表通りはきれいに整備されているが、中心街であるはずの商店街のアーケードはシャッターだらけ。「郊外店に負けた」というだけで説明できるのだろうか。コンパクトシティが脚光をあびている今、潜在的には活性化できる可能性があると思うのだが。
閑散とした中心街のシャッター商店街と、やけに明るくきれいに整備された目抜き通りの対比がむなしい。右手には城があり、その足下に市役所などがある。城下町の風情である。
川をこえ、さらに東へ。宇多津駅の近くの「地蔵院」というお堂をこえてまもなく、右手の小道をはいり、小高い丘にのぼると神社にでた。
寺への道がわからず迷っていたら、通りがかったおばさんが教えてくれる。
落ちついた旧街道風の町並みをちょっと歩き、右手の斜面をのぼると寺だ。坂出や宇多津の町並みや瀬戸大橋までのぞめる。夕日をあびて街全体がオレンジ色に染まりつつある。
17時10分、坂出市に入る。「国民旅館松竹」というさびれた旅館がある。国民宿舎がはやった時代に、それに似せた名前をつけたのだろうか。
高速の下をくぐり、公園をつっきり、「本街道」とかいう旧街道風の道をたどる。町並みは豊かだったころを彷彿とさせる。しばらく歩くと街道がそのままアーケードの商店街になる。
長いアーケードだ。赤煉瓦の銀行や、黒い木造の商家づくりの醤油問屋?など、立派な建築が多い。それだけ豊かだったのに、すっかりシャッター商店街になってしまっている。坂出駅前はサティだけが明るいが、客が多いようにはみえない。
駅の観光案内所でビジネスホテルを紹介してもらう。徒歩10分ほどのニューセンチェリー坂出。朝食付きで5460円。
「和」という名前の居酒屋に入った。沖縄料理などがあるが刺身は少ない。
小アジの三杯酢と沖縄焼きそばとポテトサラダ、生ビールと地酒「凱陣」(580円)、熱燗(350)円。しめて3100円。
〓商店街はいったいなんで栄えたのか。
〓火の見櫓は、最近どうなってるのか?
(1090125)
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