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熊野古道・紀伊路②釜ヶ崎から仁徳陵へ

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飛田新地と釜ヶ崎

 日本1高いビル「あべのハルカス」の足もとは全国でもめずらしいディープな町だ。
 飛田新地は置屋の店先に女の子と客引きの「やり手婆」が座っている。気に入った子を選んで20分1万6000円ほどで遊べる。その西には日雇い労働者の町・釜ヶ崎(愛隣地区)が広がる。二十数年前、ドヤ(簡易宿泊所)に泊まりしながら朝日新聞の家庭面に「ホームレス」の連載記事を書いた。覚醒剤を売る兄ちゃんと飲んだり、うんこが浮かぶ銭湯に度肝を抜かれたり……刺激的な取材だった。
「家庭のない人のことを家庭面に書くなんておかしいやろ」
「こじき問題なんて古すぎてニュースにならん」と編集局の幹部にクレームをつけられたが、
「ファミリーレスも家庭の問題ですわ」
「貧困問題はこれからどんどん出てきまっせ」
 と、当時のデスクが強引に掲載してくれた。
「規制緩和」や新自由主義による貧困の広まりを予想できない編集幹部は論外だったけど、上司の圧力をひょうひょうと無視するデスクが、当時の大阪の朝日新聞にはまだ残っていた。
 日雇い労働者の高齢化が進み、釜ヶ崎の多くの簡易宿泊所が貧乏旅行者の安宿や福祉アパートに衣替えしている。
 釜ヶ崎は大好きな町だけど、今回はそのわきを通る阪堺電車に沿って南下する。
 天王寺から離れるにしたがって建物が低くなり、しだいに空が広くなる。

20210130万代池公園へ (1 - 5)

安倍晴明出生地

「松虫」という地名は松虫と鈴虫という美人姉妹の悲話に由来する。2人は後鳥羽上皇の寵愛を受けてたが、法然上人の弟子である住蓮坊、安楽坊の説法にひかれて、後鳥羽上皇が熊野を参詣しているすきに出家する。これを知った上皇は激怒し、住蓮坊と安楽坊を殺し、法然上人を土佐に、親鸞上人を越後に流した。

20210130安倍晴明神社へ (7 - 10)

 紫ののぼりが翻る安倍晴明神社は、映画や漫画にも登場する陰陽師、安倍晴明の生誕地とされ、鎭石(しずみいし)(=孕み石)や晴明公産湯井の跡がある。その50メートルほど北の「阿倍王子神社」は大阪市内で唯一残る九十九王子だ。境内には樟の古木が4本生い茂っている。裏の大通り側に大きな鳥居があり、今はそっちが表になっている。

20210130阿倍王子神社 (5 - 5)

「さようなら!」と小学生の女の子が頭を下げた。年配の女性も「さよなら」と声をかけてくる。「こんにちは」ではなく「さよなら」というのは珍しい。約30年前に内戦中の中米ニカラグアという国を旅していたとき、すれちがう人とのあいさつは「こんにちは」とか「やあ」なのに、ニカラグア湖に浮かぶひょうたん形のオメテペ島だけは「アディオス(さよなら)!」だったのを思い出した。親しみを感じる素朴な響きだった。

親孝行の味噌とコロッケパン

 大正時代に開かれた帝塚山の高級住宅地をへて住吉大社に近づくと、古い商家風の建物が増えてきた。「芋忠本店」はお菓子屋かと思ったら大正時代に創業した葬儀会社だ。

20210130池田屋住乃江味噌 (2 - 3)

 池田屋という土蔵造りの商家は、1階の屋根に高燈籠、2階には虫籠(むしこ)窓を備える。1892年前後の築で登録有形文化財(建造物)に指定されている。今は味噌店を営んでいる。
 店に入って、「風変わりな建物ですねぇ」と話しかけると、「住吉大社の高燈籠が新しくなるときに先代が惜しんで、古い燈籠をモデルにつくったんです」と言う。
 住吉大社の海側には、鎌倉時代の創建ともいわれる高さ16メートルの高燈籠があり、灯台の役割を果たしていたが、1950年のジェーン台風で破壊され解体された。1974年に再建された。
 池田屋の名物は「住乃江味噌」。4代前の明治初期の当主が、歯が悪くて食が細くなった母に栄養をつけてもらうため、ごまをたっぷり入れてつくった。「親孝行の味噌」と呼ばれた。浜で拾った貝殻にのせて売ったこともあるという。明治・大正天皇に献上した際の写真が店に飾られている。
 池田屋のはす向かいには「ハット屋パン」という不思議な名前の店があるが、店は閉じているらしい。池田屋の女性は「おいしいパン屋さんだったんですよぉ」と懐かしそうな目をした。
 とくに手作りのコロッケパンが有名だった。最後はおばあちゃんひとりで切り盛りしていたから仕込みが間に合わなくて週に3,4日しか開店しなかった。
「今日は開いたよ、というとみんな買いにいってました」
 5年ほど前に店を閉じたという。

20210130住吉大社 (6 - 14)

売られた大塔

 住吉大社には「初辰まいり」ののぼりが無数にはためいている。毎月初辰の日にお参りするらしい。「初辰」を「発達」にかけているんだそうだ。

10番切幡寺大塔 (1 - 2)

 2020年に四国の遍路道をたどったとき、10番札所切幡寺(徳島県阿波市)で見た高さ24メートルの二重塔(重要文化財)を思い出した。住吉大社の神宮寺の西塔だったが、明治政府の命令で廃寺となった。切幡寺の住職が明治6年に買い取り、10年かけて移築したという。

20210130大和川へ (3 - 3)

 かつて埼玉の綾瀬川とならんで日本一汚い川だった大和川を渡ると堺市に入る。住宅地にある「境王子跡」の碑をながめ、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のわきを20分かけて半周する。

20210130仁徳天皇陵周辺 (2 - 6)

 壕沿いには陪冢と呼ばれる十数基の小さな墳墓が点在する。さすがに大きい。古墳というより堀に囲まれた森だ。大仙陵古墳の正面(南側)の公園には堺市立の博物館がある。古墳の説明だけでなく、中世から栄えた自治都市の栄枯盛衰の展示が興味深かった。(つづく)

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