1990年代のはじめ、僕が静岡にいたころは、日本一のお茶どころなのにお茶についての博物館がなかった。静岡の行政の文化軽視を典型的に示しているとよく話していた。
いま、金谷の台地上の、大井川を見下ろす茶畑のどまんなかに 「ふじのくに茶の都ミュージアム」という立派な博物館ができている。「茶草場農法」が世界農業遺産(GIAHS)に認定されたことが開館のきっかけになったのだろう。
展示も興味深い。以下その大ざっぱな内容。
−−原産地の中国から仏教とともに朝鮮半島や日本に伝わった。ヨーロッパには17世紀はじめに商品としてもたらされた。インドではイギリスが茶の栽培をはじめた。アッサム種が発見されたのは19世紀半ばだった。イギリスの紅茶文化のはじまりつい最近のことなのだ。
広東語のCHAと福建語のTAY(テー)から茶やteaという言葉が生まれた。
日本には平安時代に中国からもたらされた。当時は餅茶(へいちゃ)といって、湯に粉末を投げこみ、煎じて飲んだ。鎌倉時代に粉末の茶を泡立ててのむようになり、それが茶の湯につながった。江戸時代になると庶民は番茶を泡立てるようになった。今のような煎茶は江戸時代以降だ−−
阿波番茶や碁石茶、ボテボテ茶(島根)、バタバタ茶(富山)、石鎚黒茶など、かつて取材で飲んだなつかしい茶の実物も展示されている。
失職した幕臣や川渡し人夫たちが牧之原を開拓したという静岡茶の歴史や、明治以降輸出産品として活躍する様子もおもいろかった。
石畳が復元された旧東海道の峠も歩いてみた。
庚申塔は青面金剛の下に3匹のサルがいるのがふつうだが、青面金剛がなくて3匹のサルだけがかたどられた庚申塔があった。珍しい。
コメント