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遍路㉗久万へ峠越え 内子~久万20200302

 6時、下のレストランで朝食。1000円だけあってボリュームたっぷり。2階の民宿は昔は飲み屋の個室に使っていた。内子には当時、民宿は1軒しかなかった。だから「上がもったいないから民宿やれ」とほかの民宿の人から言われたという。だから長細い間取りなのか。ふつうの旅行者と遍路は行動時間が異なるから、5月の連休などには一般客は泊めないという。
 6時半出発。朝靄ただよう道の駅「からり」は思い出が多すぎる。
 

 8時15分に橋を渡って大瀬のまちに入る。家の外観はまちなみ整備の補助金でそろえようとしている。重厚な家が多いのは、かつての繁栄故だろう。和紙や木材の集散地として栄え、新しい国道ができる前は、人がじゃまで車が通るのに難渋したという。

 旧役場前の鮮魚店の主人には大江健三郎について取材したことがあった。大江の生家は魚屋の2軒先だ。大瀬小学校は木造で、校庭には土俵も備えている。

 国道に戻る。「ミツバチの巣箱売ります」という店がある。ミカン1袋10個を100円で買った。小さいが甘くておいしい。これとカロリーメートが昼食になった。

 9時すぎ、川登方面の旧道に入ると「やなぜうどん」がある。5月の筏流しのイベントではこのうどん竹筒の容器でふるまってくれた。

 「千人宿記念大師堂」は「当分の間、宿泊できません」。自治公民館の「いかだや」で休憩する。資料館を兼ねる公民館は開いていない。宿泊も受け入れていないらしい。
 ここのうどんもそうだけど、Rはおいしいものを察知する天才だった。「うまそう!」と言って買ってきてはずれることはまずなかった。

 梅津休憩所から左の旧道へ。旧小田町に入る。今は内子町の一部だから自治公民館が設けられている。
 10時10分、川沿いの国道379号をさかのぼる。
 中田渡の薬師堂で休憩し、砥部町(旧広田村)との境界から1車線の県道に入る。

 谷川に沿って杉の森の暗い道をさかのぼると正午前、隠れ里のような集落が現れた。数分後にはさらに広い十数軒もある臼杵という集落に出た。集落の一番高い所には立派な寺がある。
 石積みの棚田には狭い土地でも米を作ろうという執念を感じる。米をつくるためにどれほどのエネルギーと知恵をついやしたのか。

 12時23分、畑峠との分岐の三嶋神社で休憩。ここまで23.8キロ。
 目の前の商店は開いてないが自販機はある。隣の家は廃屋だ。ウグイスのほがらかな歌声が寂しさを際だたせる。
 ちょっと下は早咲きの桜が咲いていたが、山のムラは梅と菜の花が真っ盛りだ。山の中なのに、なぜかクルーザーが放置されている。

 山道に入り10分ほど急坂を登ると県道の下板場峠(570メートル)。ここから久万高原町に入る。さすが高原のまち、道ばたに雪が残っている。

 13時40分、里におりて分岐を左へ。葛城神社と大師堂がある。2階の欄干がおしゃれな民家は遍路のもたらした文化の影響だろうか。
 二名川をわたり山際へ。林道?をひたすらのぼる。14時15分、車道から遍路道に入ってまもなく、草原の斜面に小さな小屋やログハウスが点在している。

 小屋の一つに「平和省プロジェクト」と記され、その裏には山本太郎のポスターがある。小屋の中を見ると白髭のヤギが迷惑そうに目を背けた。由良野という場所らしい〓。
 林業先進地の久万らしい、しっかり間伐した明るい杉桧の森を歩く。
 最後の1キロはきつい登りだった。14時47分、杉の森の鴇田峠着。標高780メートル、ひんやりして手が冷たい。昭和30年頃までこの道は二名と久万を結ぶ主街道だった。
 しばらく下ると久万のまちが見えた。今まで見てきた集落と比べると、格段に豊かであることがよくわかる。
 国道の道の駅「天空の郷さんさん」で握り飯とワンカップを買い、16時前に「でんこ」にチェックインする。
 34.6キロ。きのうと同じ距離だった。(つづく

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