モーニングを食べて7時10分出発。冷たい小雨が降っている。
和霊方面は古い商店や銭湯があり、城下の庶民のまちの雰囲気が残っている。でも10年もすれば商店は廃業し、銭湯もなくなるのだろう。
国道に出たころから本降りに。風邪が悪化して水っぱなが出てくる。痰は膿色だ。どうせならコロナにでもかかって、人の迷惑のかからない山奥でぽっくりいければいいのに。
8時40分、ようやく国道の坂を上りきる。峠かと思ったら、そこが務田駅で、三間の中心部だった。
田んぼを突っ切った山をちょっとのぼると9時10分、龍光寺に着いた。歩いてきた田や集落を見渡せる。晴れていたら心地よかろう。
納経所のおばさんは気さく。降雨時に休む場所がないのが残念だった。
9時35分発。「四国の道」は山門を出て左に向かう。だが遍路道は右だった。四国の道をたどってしまう。
農村集落と田んぼを歩き、「崩落のため通行止」と書かれた標識は無視。中山池という大きなため池のまわりを歩く。湖のように大きい。
「四国の道」はあちこちでとぎれたり、崩落したり。遍路道のようなしなやかさがない。しょせん行政がつくった人工的な道でしかない。
10時40分、県道沿いにある仏木寺に着いた。
家畜をまつるお堂もある。落ち着いた雰囲気だが、寒くてのんびりはしていられない。
納経所の男性は「雨だし、トンネルのほうが楽ですよ」と助言してくれる。でも峠道も通れないことはないという。
山門の前の県道を横切り、農道を歩く。高速道路のわきから山へ。「四国の道」の標識には「一部崩落で通行禁止」と書かれているが、ほんの一部崩れているだけで問題はない。「通行禁止」とするのではなく「登山経験のない方は危険です」程度にしたらよいのに。なんでも「禁止」にすると、狼少年のようにだれも信じなくなる。
禁止個所よりも尾根道の直登部分の方がわずか15分だけどしんどい急坂だった。
正午過ぎ歯長峠に着いた。標高480メートル。霧に覆われ展望はゼロ。古い落葉樹が1本、シンボルのように立っている。コンクリートづくりのお堂には7体の石仏がならぶ。
昭和初期までは宇和と三間を結ぶ生活道だった。東国武将の足利某が、平家の味方をしてここに逃れてきた。彼は巨人で歯の長さが1寸もあった。だから歯長峠と名付けられた。
一気に下って12時59分に車道に出た。あとは国道をひたすら歩く。
道路に面した家の壁面になぜか小便器がむき出しになっている。いったいなんだ?
山の上に文化博物館が見えてきた。その山際を右へ。無社殿の神社のような「奥の院」を経て、14時40分に明石寺に着いた。
歴史を感じさせる建物で、本堂も大師堂も扉が開いていて、堂内を見られる。
床面に賽銭箱がはまりこんでいる。折り鶴や折り紙の飾りがお堂を彩る。
雨がまた降りだした。
裏山を越えて、卯之町へ。二宮敬作の碑がある。シーボルトの弟子で、シーボルトが追放されたあとイネに医学を教えたという。でもイネはシーボルトの弟子に強姦されて子供をつくったんじゃなかったっけ? 二宮ではないと思うが。
重要伝建のまちなみを散歩する。江戸や明治、大正、昭和の風情を残す家々がならぶ。中古食器の「量り売り」には驚かされた。しょうゆさしの器だけを並べた店もある。
酒蔵の「開明」に吸い寄せられた。江戸時代の帳場が残っていて、漆塗りの明治時代のレジスターを今も使っている。硬貨を自動で分類できるが、硬貨の種類が変わって今は使えない。からくりが精巧でおもしろい。
売りは熟成酒らしい。3年熟成の「開明」の小瓶を買った。この1年半、酒はアルコールさえあればよいと思ってきたので、こんな高い酒を買うのは久しぶりだ。熟成酒特有のえぐみと、まろやかさがおいしい。
日本一古い?という開明学校の長い廊下はかつて2人で訪ねて雑巾掛けをして、足がへばったのを覚えている。
卯之町駅の目の前の旅館「まつちや」へ。カッパや靴などはすべて乾燥してくれて、「お接待」で着ていた服は洗濯してくれた。部屋もきれいでぽかぽか。食事の味も上品だった。(つづく)
コメント
コメント一覧 (4件)
四国は眺めが本当に良さそうですね。2回しか行ってないけどあまり良く見れてないんで、次回はよく見てみたいです。
北アルプスのような「大きな自然」ではないけれど、あちこちに昔ながらのムラの風景が残っていて、魅力的ですよ。
藤井君はぽっくり逝くようなタマじゃないよ。そろそろ元気出してよ。(怒んないでね)コロナが終わったら飲みにでも行こうじゃないか。
たしかに、ポックリいくのは難易度が高いね。
プータローになったので外食は最低限にしてますが、
たまには飲んでるので、大阪に来たらやりましょう。