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遍路㉔由良半島の眺め 柏坂~宇和島20200228

 おにぎり3個のうち1個と、文旦を食べて6時半出発。
 氷点下1度。手袋をしても手がかじかむ。
 川をさかのぼって集落を抜けて登山口へ。
 標高差400メートル超だから急な登りがつづく。

 炭焼窯の跡がいくつかと、なぜか野口雨情の歌碑が点々と据えられている。
 そのひとつに「松の並木のあの柏坂…」という歌があった。道沿いは松並木だった。きのう松尾峠で松並木は松根油をとるために皆伐採されたと書いてあったが、ここもそうなのだろう。
 7時半、柳水大師。大師が柳の杖を突き刺したら水がわき出たと伝えられ、その柳が代々育っているそうだ(柏を育てる会)。

 7時50分、1時間10分で尾根にのぼり詰めた。猪垣らしき石積みがあり、「岩松村土居儀平築営」と記されている。無名が多い熊野とは異なる。

 8時、大師水。昭和15年ごろまで旧暦7月3日に奉納相撲があり、市が立ったという。このころは杉の森ではなく、広々とした空間があったのだ。だから松並木が形成された。
 どんな空間だったのか?

 「ゴメン木戸」の解説によると、昭和20年代まで大草原の草刈り場だった。明治には放牧もおこなわれていた。津島の牛が南宇和郡に紛れ込むのを防ぐため、石積が築かれた。牛は1メートルの高さがあれば降りないからだ。人々は「ごめんなし」と言って木戸を開けて通ったという。石積みは猪垣ではなく牛用なのかもしれない。

 8時18分、由良半島を眼下に望む休憩地に出た。くねくねと鍵状に曲がった半島が見渡せる。深い湾に養殖いかだが浮かぶ。由良半島をこれほど美しくみせる場所はない。
 ここからはほぼ下り。ところどころに、小話を紹介するパネルが掲げられている。
 「女兵さん」は、女っぽい兵士に巨漢の男が脅し「男だというならイチモツを見せてみろ」と言って自分のを見せた。ところが、女みたいな兵士のイチモツがはるかに大きくて平伏した。
 「鼻欠けオクマの墓」。明治のはじめ、梅毒をうつされた女の話……
 さまざまな逸話を、だれが集めて、記録したんだろう。
 9時9分、「茶堂休憩所」。いちおうトイレがあるが、扉はない。昔の中国式だ。
 9時42分、川沿いの車道に出た。国道に出る直前に酒蔵がある。昔取材したことがある県議の家だ。
 津島大橋から旧道をたどるつもりが、橋を渡って国道を歩いてしまう。獅子文六にまつわる名所を見そびれた。

 12時すぎ、旧津島町と宇和島市の境界の松尾トンネル入り口。1キロ以上あるトンネルだ。左手の遍路道は3キロ以上の距離だが迷わず選ぶ。

 40分ほどで峠の遍路小屋に着いた。

 なぜか井戸があり、水をたたえている。昔は茶屋でも開いていたのだろう。(津島名物は大うなぎ)
 採石場を突っ切って、13時半に国道にもどった。

 国道を1時間ちょっと歩き、山際の静かな道へ。魚屋や総菜の店などが点在する古いまちなみがつづく。

 馬目木大師を経て、宇和島の中心街に近づく。
 平山城の宇和島城が城下町の雰囲気を醸し出す。武家屋敷っぽい家並みも残っている。大きなビルがないのがよい。

 平屋だけだった時代は城の存在感は格別だったろう。こじんまりと落ち着く城下町だ。
 大規模なアーケードはシャッターだらけ。


 宇和島駅はホテルと併設されて立派になっている。駅前の小さな「ターミナルホテル」に15時40分に着いた。モーニングつき6000円。

 ホテルで教えてもらった駅裏の居酒屋「富屋」へ。有名な「穂積亭」などよりもリーズナブルと勧められた。刺身盛り合わせ(ヨコワ、ヒラメ、タイ)と鯨湯引き、宇和島チャンポン、生ビールで3190円。
 カウンターでいっしょになった飲食店を経営するおやじ。「海保と小学校の宴会がコロナでキャンセルになった。このままじゃつぶれるところが出てくるよ。集中豪雨のとき以来です」「いきなり休校が決まって、娘は老人の看護師で休めないし孫の世話が大変だよ」「穂積亭とかは市役所の御用達だから高い。5000円とか1万円とかする。駅前の○○なんて2000円でなんぼでもいられるのに」
 ワインを買ってホテルの部屋で飲んだ。(つづく

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