6時35分発。延光寺の目の前から遍路道をたどる。薄暗い早朝はいろいろ思い出して心が揺れる。
国道に出て1時間、川を渡ったら宿毛のまちだ。
県境が近いから愛媛銀行がある。おしゃれなカフェや飲み屋も多そう。でも、以前より店は減っている。古ぼけたアーケードの記憶があるが、見あたらない。
まちが尽きて、神社の脇から舗装された急坂を、宿毛のまちを見渡しながらのぼる。柑橘と菜の花が黄色の鮮やかさを競っている。
一度、山道に入ったが10分で錦という集落に下る。ゆうパックののぼりがはためく農家のわきを、菜の花のなかに分け入るように再び山道へ。10分後、小さな尾根を越えるとため池にでる。小深浦という集落だ。さらにひと尾根越えるとまた湿地のような池があり、大深浦の集落に出た。
9時12分、松尾峠への登山道に入った。
きつい登りがつづく。
ところどころ石畳があるのは、傾斜な急な箇所が崩れないようにするためという。以前は松並木だったが、戦時中に松根油をとるために伐採してしまった。
あちこちに小中学生の描いたパネルが飾られている。中学生は英語で「Take Care」「Cheer up」などと記す。小学生のパネルの絵がかわいい。松尾峠の景観について「宿毛の宝です」と書いている子もいた。
9時50分、標高300メートルの松尾峠着。ベンチに座って休憩。宿毛湾を一望にできる。弘法大師もこれと同じ風景を見たのだろう。雄大で穏やかで心が洗われる。「宿毛の宝」の意味が分かった。
この道はかつて1日200人が歩き、茶屋も2軒あったが、昭和4年に宿毛トンネルが開通してさびれた。峠をいくつも越える昔の旅の一端を遍路道は味あわせてくれる。
峠から先の愛媛県側はさらに道が整備され、小走りで下る。
愛媛最南端の町だった一本松町は合併で愛南町の一部になった。「愛南」なんて愚かな名をよくつけたものだ。久万町などが合併する際、一度は「高原町」に決まったが、あまりにひどさに町民の反発がして久万高原町になった。愛南や四国中央といった名前にはセンスのかけらも感じられない。
11時40分、保存会の地図にない、谷の左岸を下る遍路道に入る。夏は涼しかろう。10分ほどで車道に出て、すぐまた急な登山道をたどる。正午すぎに登り詰めると蛇行してのぼってきた県道と合流した。標高90メートルの高台の集落は満倉という。
正午時点で21.4キロ歩いた。この分なら柏坂まで行けるかもしれない。
正面の山並みの上を、トンビがピーヒョロロと声を立ててグライダーのように旋回している。
「山茶花くらぶ いっぷく堂」という名を記した案内板があちこちにある。遍路道の復活に携わるグループなのだろう。大きな畳業者の敷地の隣に「いっぷく堂接待所」があった。これだけ大規模な畳業者があることだけでも興味深い。
遍路道を下りきると、自然石のようなまん丸顔の地蔵がいた。
古い商家風の建物が点在する商店街を経て、川の堤防を歩く。冷たい風が吹き、風邪をこじらせそう。1時間近く堤防を歩き、13時30分に橋を渡ると観自在寺の山門が見えてきた。
門前の山内さんという古い商家は「11月8日に閉店」と記されている。なんの店だったか? 目の前の呉服店はまだやっている。「ご縁茶屋」は「コロナが収束するまでお休み」。13時35分着。28.1キロ。
本堂は真新しく見えるが、昭和39年につくられ、去年塗り替えられたという。宿坊が立派だ。寺の門前に「憲法9条を守ろう」という看板がある。
石の数珠をもつ風変わりの地蔵さんがいた。
前回は、宿毛からへろへろになってたどり着いた。寺の近くの宿は階段が多くて、イタタイタタと言いながら部屋に入った。たぶんそれが「山代屋」だろう。
ここからはひたすら国道。長い長い坂を1時間かけてのぼり詰めると八百坂峠。風が強くて寒い。いったん菊川という集落に下り、もう一度のぼると室手峠だ。
海の展望が一気に広がる。三角形の三つの小島が影絵のよう。遠く九州もうっすら見える。雲間から刺す太陽の光が海に反射して白銀のベールのように輝く。「ロマンチックやねぇ」という声が頭のなかで響いてたまらない。
16時10分、旧内海村に入る。旧の自治体名があるとほっとする。
深い入り江の奥が内海の中心だ。旧役場の銀色のドームが懐かしい。
宿泊は「柏坂」というお店。国道沿いに「かしわ」というきれいな宿があるが、それではなく、その裏にあるうらぶれたスナックの建物に案内され、勝手口から中に入った。
1泊夕食プラス握り飯3個で4000円と格安だ。
暖房は電気ストーブでエアコンはないが部屋はきれい。風呂は「自分で入れて入ってください」
夕食は元スナックのカウンターに、家の主人といっしょに座って食べる。白菜と豚肉の重ね蒸し、大豆とカツオの煮物、コロッケなど。どれも家庭の味でおいしい。セトカや文旦もいただいた。「家の食事をついでに食べてもらうだけだから」とおかみさん。
壁には「夕食4000円 朝食500円」と書いてあってびっくり。おいしいけど、4000円というのは……
実は、宿泊施設ではなく飲食店という認可だから、「夕食を食べた人は宿泊させてあげる」という形にしているという。
14年前に開業したときは素泊まり1500円、次は食事つき2500円でやっていたが、「安すぎてこわい」と敬遠された。大病して本業が大変になって4000円に値上げした。
目の前の旅館は、廃業した旅館を建設業者が買い取って最近開業したという。
ユニークでおもしろい宿とご主人だった。また泊まりにこよう。(つづく)
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