おじさんお遍路さんから錦の納札をいいただいた。錦の札は四国を100周以上したあかしだ。すごいなあ。
6時45分発。朝日が海の上に半月型に浮かんでいる。やけに暖かい。
ペースは悪くないが、10日前に覚醒した時は平均時速5キロ弱だった。今は休憩を含めて4キロを維持するので精いっぱい。「スーパーお遍路さん」になれたのは1日だけだったか。
1時間で下ノ加江。「安宿」がある左岸には渡らず、右岸をさかのぼる。もう一度、「足がいてー、マメがいてー」と2人で大騒ぎした宿を見たい気もするけど 。
足の肉刺 イタタイタタと大騒ぎ あの宿の前 黙して過ぎる
田園風景が続く。
30分ほどで左岸に渡り、豊かな鎮守の森がある天満宮で休んだ。高知に多いもの、もうひとつは「清流」だ。人口が少ないからだろう。
国道に出ると「もうひとつの土曜日」という名の喫茶店がある。浜田省吾のファンだろうか。
公衆トイレで休憩し、真念庵は往路にお参りしたから素通りする。
9時10分、市野瀬橋分岐から三原方面へ。狭い川沿いの県道をさかのぼる。
山を抜けた隠れ里のような集落では、無人販売でシキビやポンカンを売っている。「お遍路さん、どうぞ」と書いてある。甘くてみずみずしい。これとザックの中のレーズンが昼飯になった。
9時53分、三原村に入る。高知には村がよく残っている。当時の橋本大二郎知事らが平成の合併に背を向けたからだ。卓見だった。合併の旗を振った隣の愛媛県からは村が消えた。
「お遍路さん休憩所」という小屋の机に花が生けてある。ちょっとした気遣いがかわいい。
すぐに左手の遍路道に入る。「昭和の初めまで、三原の百姓が加江へ米売りに馬で通った」と書いてある。あちこちの遍路道で石畳を整備したのは馬のためもあったのだろうか? 登る途中の水場がありがたい。
沿道の石積みはシシガキだろうか。
20分ほどで舗装道におりる。山沿いをしばらく歩き、川の反対側の県道に出た。
農家民宿「今ちゃん」を経て、11時16分にトイレがある上長谷集会所。
三原村は遍路伝説の案内板が多い。郷土史に造詣が深い職員がいるのだろうか。
遍路道の中興の祖である真念上人がたてた道標から右手の谷をさかのぼる。「農家食堂青空」には「どぶろく」ののぼりがはためている。2人で歩いていたら吸い込まれたろうな。
谷沿いの道をさかのぼる。川の水が尽き、風が吹いたと思ったら「四万十市」の看板があった。県道の地蔵峠だが、車が通った形跡がない。標高240メートル。12時12分、21.7キロ。この3日ではじめて午前中の距離が20キロを超えた。
尾根にお地蔵さんが2体ある。一体はキャンディーズのように3人の地蔵さんを彫っている。
峠から3キロ余りの下りが「真念遍路道」の真骨頂だ。
急な山の斜面をL字に切って、等高線に沿ってゆるやかにまっすぐ下るから、楽しくなるほど歩きやすい。斜面を切る作業は大変だったろう。
30分ほど進んで、急な坂を下ると「大師堂」があった。
なぜかラジオの音がする。扉が開いてひげづらのおじさんが「お遍路さん?」。きょうはここに泊まるという。いろいろ事情がある人なんだろうなあ。
さらに5分下ると里に出た。
道ばたでだべっていた頬かぶりをしたお母さん2人が「きょうは暑いねぇ。ご苦労さまです」「あら、汗かいてる!」と笑った。暑いから長袖の下着1枚で歩いてきた。
高速道路沿いを左へ。14時、九樹川橋の近くの休憩所でひと休みして靴下を脱いで乾かす。
左手に高架式の平田駅を見てから国道に出て、ローソンで焼酎と歯ブラシと野菜ジュースを買った。15分後、右手の集落に入り、谷沿いの田んぼを上流へと進む。高速道路の高架の建設が進んでいる。
16時前、集落の一番上にある延光寺に着いた。山門をくぐると鐘を背負った亀の像がある。
赤亀が竜宮から鐘をもってきたからこの寺は「赤亀山」と呼ばれている。内陸の寺なのにニライカナイが近い。
参拝客は僕だけ。納経所のおばさんと若い男性は「気をつけておいでてね」と気さくだった。
きょうで、納経帳が1冊終わってしまった。
「嶋屋」は、樟脳のようなにおいがする昭和っぽい民宿だ。40年の歴史があり、暇な日はおやじさん一人で切り盛りしている。昨年から遍路はガクンと減ったらしい。
入浴と洗濯をして17時半から夕食。トンカツや唐揚げ、コロッケのほか、メジナという魚の刺身がたっぷり。タイに似た黒い魚で、最近値が上がっているそうだ。
きょうは34.3キロ、3日で100キロを超えた。無理しすぎかな。(つづく)
コメント
コメント一覧 (2件)
お遍路さん100周って何年かかるの? 本当なんですかね?
歩きで100周は大変だけど、自動車ならば10日ほどで1周できるので、100回まわっている人はけっこういます。歩きだけでの最高記録は200数十回だったと思います。