朝6時、暗闇に月が明るい。
40分ほどで清滝寺の仁王門に着く。石段をのぼると、本堂と大師堂が連なり、その前に大きな観音像が立っている。
眼下には、旧高岡町(土佐市)のまちと太平洋が広がり、東の空はオレンジ色に染まる。
納経所が開くのを待って引き返し、8時前にホテルにもどった。途中、50円の自販機に驚かされたが、大阪にもけっこうあるらしい。
ホテルでお茶を水筒に入れて出発。田が多いから水路が多い。水を利用するためのテラスのような段があちこちにある。水が身近だから水路が清潔に保たれるのだろう。
塚地トンネル手前の休憩所で休む。トイレと東屋、水車があり、カートに荷物を満載にしたおじさんが泊まってくつろいでいる。
峠を越える旧遍路道をたどる。商いの人が往来し、海側から魚介類を運ぶ道でもあったが、迂回する県道ができて使われなくなった。平成になってトンネルが掘られて「塚地越え」が復活した。急坂部分に古い石畳が残っているのは往還道だったころの名残だ。
標高180メートルの峠のちょっと上の休憩所には竹製のベンチが設けられ、宇佐の大橋や青龍寺方面が見渡せる。
前回この道をたどり「遍路道にしてよかったやろ?」と言ったら「しんどい!」とブーたれていた。
朝は晴れていたのに、空がどんよりとしてきた。
ふもとの海辺の集落には、地元の衆議で建てたという「安政地震津波の碑」があり、当時の状況が刻まれている。南海地震ではその教訓が生かされ、津波の死者は1人だったという。
焼き魚のにおいがしてきた、と思ったら海辺の道路に出た。大橋の手前のファミマで昼食休憩。雨がぱらつきはじめた。
大橋を渡ったところに「旧へんろ道」の看板がある。けっこう急坂だ。雨は強まってきたが、森だからそれほど濡れない。
本来のへんろ道と合流し12時25分に青龍寺に着いた。本堂までさらに150段以上の石段があった。
本堂で手を合わせて目をつぶると、渓流の音と雨音が二重奏を奏でている。
大橋を渡り返して、浦ノ内湾沿いを歩いて15時に民宿「なずな」に着いた。
夕食はカツオとタイとイカの刺身がたっぷり。天然カキのバター蒸しもおいしい。つり筏もやっているから魚が自慢という。
世界を旅していた息子が10年ほど前に開いた。料理はお母さんの手作り。おかずが多いからビールだけでは足りず、焼酎も注文してしまった。
きょうは26キロしか歩かなかった。(つづく)
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