竹林寺のふもとに行く路線バスは6時38分のはずなのに7時になっても来ない。しかたないからタクシーに乗った。不満を漏らすと「お客さん、きょうは祝日ですよ」。建国記念日だったんだ。
いつもより1時間遅い7時20分出発。
田んぼの端っこの山際をたどり、高速道路をくぐり、武市半兵太をまつる瑞山神社のわきを通過する。武市を神様扱い? その心持ちは忠魂碑の多さと関係あるのだろうか。
石土トンネルを抜け、新興住宅地を抜けると石土池と石土神社がある。石鎚と関係があるのだろう。池の対岸の山が禅師峰寺だ。
竹が密生した暗い急坂を登り詰め、8時半に山門に着いた。
頂上は岩場が露出し、そのあちこちに地蔵がいる。極楽の世界をかたどっているようだ。
太平洋と桂浜方面が一望できる。海辺にビニールハウスが林立している。前回は午後遅かったから、傾いた太陽でオレンジ色に染まって美しかった。
1年半前に病院で、この寺から雪蹊寺あたりまでを思い出しながら語り合い「ロマンチックやねぇ」と語っていたのを思い出す。
山を下り、平野をまっすぐ西へ歩く。前回は夕日が沈むのと競争するように歩いた。
三里中学の手前の神社の森で休憩。森が広々していて心地よい。
自転車の遍路が多いと思ったら、中学生のウインドブレーカーが白くて遍路に見えていた。中学の前にまた「忠霊塔」。
造船所のある種崎には、スーパーも居酒屋もコンビニもある。老健の名は「シルバーマリン」、ケアハウスは「パールマリン」。
10時半、県営渡船の乗り場につく。津波対策で桟橋へのシャッターを閉じている。40分ほど待って11時10分発。無料なのがありがたい。
対岸は春野町だ。川沿いに上流へ。狭い道だが車が多い。前回泊まった民宿は見つからなかった。「酔鯨」の蔵らしき建物と直売所がある。
11時40分、雪蹊寺到着。この寺は廃仏毀釈で一度つぶれ、復興した。復興させた和尚が山本玄峰の師匠だという。
前回出会った老僧は、復興させた和尚や玄峰師のことも知っていたのかもしれない。神社と隣接しているのも、廃仏毀釈を巡る因縁があるのだろう。
前回、寺は霧のなかで、戦争体験を語る不思議な僧がいて、魔法にかかったようだった。だから「ロマンチックやねぇ」とRは言った。
今の寺は明るくて、魔法がとけてしまった。
田園を歩く。ペースをつかむためお経や歌をそらんじていると、橋のたもとにおばあちゃんが座っていた。「一人でえらいねぇ。なんか飲み物でもお接待しようか?」。愛嬌ばつぐんのおばあちゃんだ。
周囲を小高い丘に囲まれた水田集落を歩き続ける。
田んぼに「種間寺」と記した木製の標識があった。前回も見た記憶がある。
新山川の手前には、屋根で保護されたお地蔵さんがいた。これも覚えている。現代の構造物は老朽化すると消えるし、人間も死んでしまうが、信仰の場って、100年単位で維持されることが少なくないのだ。
川の手前のベンチで、逆打ちのおじさんとすれちがった。「1日あたり1人か2人しかお遍路には会ってこなかったけど、きょうは6人目や。どうしたんやろ」。大阪弁で驚いていた。
水路が美しく、田植え時はさぞやみずみずしかろう。
13時半、種間寺着。小高い丘に囲まれた水田の里の寺。納経所の女性に「きょうはお遍路が多いですねぇ」と言うと「少ないですよぉ。祝日なのにぱらぱらです。10年前よりだいぶ減りました。昔はこの建物に入りきれず、外に並んでいましたよ」「歩きですか? じゃあお接待です」とビスコをくれた。
無人市で傷ありトマト4個を100円で買った。水分たっぷり。のどが潤う。朝見かけた1袋100円のキンカンも買うべきだった。
道ばたで大根を丸ごと干している。昔はよく見たけど、今回ははじめて。葉ごと干して、たくあんに葉は捨てちゃうのだろうか?
川沿いに立派な恵比須さんのお堂があると思ったら、涼月橋という「めがね橋」に出くわした。長崎のめがね橋に似ている。
15時、仁淀川を渡った。自然護岸で、広々として、水が透明だ。
15時40分、ビジネスイン土佐に到着した。
前夜ぜいたくしすぎたから、夕食はコンビニのチキン南蛮漬け弁当とビールにした。(つづく)
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