民宿のおばさんの嫁いだ家は車で20分ほどの所にあるが、この土地を買って最初は喫茶店を開き、10数年前に民宿に切り替えた。周辺はランやフキ、イチゴなどのハウス栽培が盛んだという。
薄暗闇の平等寺を見たくて 6時半に出発した。
目の前の道をまっすぐ歩き、田園地帯を歩き、山際の月夜御水庵を参拝し忘れた。前回は訪ねているからよしとしよう。
県道の峠を越え国道55号に出る。福井トンネルを抜けてから海側に向かう。 午前9時、峠を越えると太平洋が見えた。今回はじめて見る海だ。昔の人は感動したろうなあ。
いろいろ考えながら歩いていたら、つたないウグイスの声が聞こえた。ホーホケキョと言えず、ホーキョ、ケキョ…。2月にウグイスか? といぶかしんでいたら、目の前に鮮やかな鳥が羽を休めた。ドキンとした。写真を撮ろうとしたら飛び去ってしまった。あれはサルじゃなかったのか? 一瞬そう思った。
まもなく由岐のまちに入り、9時40分に弓形の広々とした田井の浜に出た。駅があるけど、夏以外は列車が止まらない。だから前回は次の駅まで歩いて列車に乗ったのを思い出した。
遍路小屋で休憩。ザボン、ポコポコ…打ち寄せる波の音が音楽みたい。水面が万華鏡のようにきらめく。
前回は2人で砂浜を散歩したが、砂浜を歩く気になれない。前回の日記には「南欧風の建物が多い」と書いていたが、今回はそれを感じられなかった。
木岐という漁村は、郵便局やいくつかの商店もあり規模が大きい。昔ながらの漁師町の雰囲気がある。野球帽のおじさんにどんな魚が揚がるのか聞くと「水温が低いからみんな休んどる。今ごろは太刀魚かハマチ。春になったらカツオやな」。
まちから800メートルほど歩いた海辺に休憩所とトイレがある。トイレが多いのはありがたい。ここまで12.7キロ。薬王寺までは7.5キロ。近くに安政の大地震の石灯籠がある。203戸中190戸が流され、11人が死亡したという。
道のどん詰まりから岬の上へと山道をたどる。俳句を書いた木柱がならぶ。「俳句の小径」と名づけている。作品はうまくないけど、思わず笑えたり、配偶者を失った人がいたりしてつい目を通してしまう。
尾根上の車道に出て山尾峠を越え山道を一気に海まで下る。
家が点在する静かな入り江。ここも田井という名前のようだ。漁港沿いに「恵比須休憩所」があった。恵比須浜は岩がごろごろしている浜だ。防波堤の階段で休憩する。日ざしはあたたかいけど風は冷たい。だれもいない浜っていいなあ。絵を描けたら楽しかろう。
海面にきらめく光の白魚も いつか飛びたい空の向こうへ
「恵比須洞」は、波で削られてできた幅32メートル高さ31メートルの洞門で、県内で最大という。12時24分、ホテル「白い灯台」。その向こうに広大な砂浜と、山の上に城が見える。ウミガメの産卵地として知られている日和佐の「大浜」だ。
大浜の手前の岬は「恋人岬」と名づけられている。汽船に向かって恋人達が手を振ったのだとか。
日和佐のまちに入る。城下町のように落ち着いている。寺への参道は、カフェや、東京・板橋の人が移住して開いたというラーメン屋もある。
12時55分、薬王寺に到着した。
山門をくぐると「女厄坂」。ここにサルが1段ずつ1円玉を置いたはいいけど、その上に「男厄坂」があり、「女だけで全部1円玉使ってしもた!」と叫んでいた。
さらに、本堂から一番上の塔にのぼる石段は「厄坂」と名づけられている。
塔からは、まち全体が一望できる。いい街だ。
この日はここまで20キロ3万2000歩。7日間の旅は終わった。
14時21分発の鈍行で徳島へ。かつて歩いた帰りの電車では、歩いた道を見ながら「ここしんどかったねぇ」「アイスおいしかったねぇ」と語り、そのうちによだれをたらして眠っていたんだなあ。(次は2020年2月)(つづく)
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