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遍路⑤名物・立江餅 20190211

 午前6時にホテルの外に出ると、雪がちらついている。しかもどんどんひどくなる。ザックカバーをつけて合羽のズボンをはいた。徳島市内に入って遍路標識が減って道がわかりにくい。スマホの助けを借りながら一本下流の国道の橋に出て、そこからは国道を歩く。前回は遍路道保存会のマップもなく、もっとおおざっぱなガイドブックだったからほとんど車道を歩いていたんだろう。
 「支那そば」や「中国花嫁」の看板やチラシがまったくない。10年あまりのうちに中国が力を伸ばし、観光客が増えたからだろうか。
 小松島市に入ると、遍路の道しるべが増えた。国道なのにコンビニがめったにない。開いてる店もない。雪が降る道ばたで休憩。だが橋を渡ってすぐ、露ケ本休憩所という立派な小屋があった。地元のロータリークラブかなにかが建てたらしい。
 雪のなかを歩きながらいろいろ考える。死にゆく人が子どものように家族に甘えるのは、ある種の孝行だ。最後によい思い出を残してくれたのだ。人は死ぬ直前に神仏のようになるのかもしれない……。
 右手の小道に入る。「あと700メートル」という看板があるが、それは寺への坂道の下までの距離だ。分岐からさらに800メートルほどある。
 起きてから飲まず食わずだから体に力が入らなくなってきた。民宿の自販機で甘い缶コーヒーを飲んだ。
 急坂の参道を200メートルほど登って8時40分にお寺に着いた。ここまで11キロ。山際の寺は、雪のせいもあって冷たく静まりかえっている。冷たいけど、気持ちよい。裏山にいろんな植物が植わっていた、と前回の日記に書いていたが、それはわからなかった。

 牛舎のわきの遍路道を歩く。サルは「モーモーちゃんや」って言いながら、鼻をつまんで早歩きで通過したんだろうなあ。
 竹林の遍路道をたどってミカン畑に下りた。畑と住宅の間を縫う小道で、家からおじさんが声をかけてきた。「どこから来たん?」「どこまで行くん?」。最後は手を合わせて見送ってくれる。
 心地よい田舎道をたどる。珍しく商店が開いている。アンパンを1個買った。

 建設中の高速道路のわきを通り、「日本吹き矢連盟徳島支部」というプレハブの小屋の前を歩いていたら、横に車が停まって、スーツに帽子をかぶったおじさんが「なにが魅力で歩いてるんですか」と尋ねてきた。「生活文化が見えるからですかね」「信仰ですか」「たいしたものがありません」「実はエホバなんですけど、神を信じてますか」「信じてません」。冊子だけ手渡された。
 立江寺の手前でさっきの寺で会った、ポンチョ姿の若い遍路とすれちがった。
 お寺の手前の商店街の入口に和菓子屋がある。が、定休日だった。サルが栗饅頭とかを買った店だ。「名物の饅頭は売り切れてた」と言ってたっけ。洋食の店もおいしそうだけど、きょうは開いてない。
 10時15分、立江寺着。まちなかの落ち着く寺だ。「寒くて肩がこわばって大変ですわ」と納経所の男性。気温は2度ぐらい。

 山門を出たところに、黒っぽい立派な商家がある。何かと思えば和菓子店だ。「立江餅」はばら売りしてくれる。1個100円。2人ぶん2個買った。甘さ控えめでちょっと塩がきいていてやわらかい餅だ。食べさせてあげたかった。

 櫛渕真念古道、という案内板から右手の遍路道に入った。みかん畑やため池の脇を通る落ち着いた小道だが、高速道の工事現場に出た。完成したら遍路道は台無しかも。
 櫛渕八幡神社の大グスは立派。病院で覚えた祝詞を唱えてしまう。般若心経も覚えたら、またちがう世界が見えてくるかな。
 県道に合流してひたすら車道を歩く。山に白い雲がたなびき、雨上がりの里山はみずみずしい。
 昨日の自転車遍路とすれちがった。
 勝浦の中心にはJAのビルがある。ここは覚えている。生比奈地区という。

 おひなさま発祥の地という伝承があり、「ビッグひな祭り」というのぼりがひるがえる。商店や民家の軒先には、雛人形と、サルボボのような吊しビナが飾られている。

 このままでは13時半に宿に着いてしまう。真新しいおしゃれなジビエ料理のレストランに入った。「あおき」という名前。イノシシの毛皮をそのまま使った看板がある。十数年前は国道のわきに立っていた。そう店主に話すと「いまはどこにでも看板を置けなくなって、5、6年前に撤去したんです」。この店も以前は生比奈のまちにあったが数年前に移転してきたという。

 店主は若いころ大阪の東区(当時)の道修町に住み、北浜にあった三越などと仕事をしていたという。吊しビナは、彼が子どものころはなかった。あるおばさんが外から導入してみんなに広めたらしい。愛媛の芋たきもそうだけど、伝統かと思ったら意外に新しいというものは多いのだ。
 鹿肉丼(980円)を食べた。「歩き遍路さんに思いを書いてもらってるんです」とノートをもってきて、インスタントコーヒーと飴をくれた。「妻が亡くなって2度めの遍路」と書いた。驚くやろなあ。そういう人も多いのかな。

 14時、店を出ると晴れ間がのぞいている。大根や白菜の花が黄色く咲き乱れている。山には白い雲が流れて、チクチクツイツイと鳥がついばむ。天国の光が注いできたような風景だ。
 道の駅は、柑橘でいっぱい。
 15時ちょうどに民宿「金子や」に入った。立派な建物だけど、俺一人だけ。
 10年ちょっと前、若女将風の人が客を出迎えていて活気があった。「若女将がいる民宿なんて最高やん。選択を誤ったな」とサルと言いながら、「私はもう歳だからご飯の用意はできません。お風呂も自分で入れてください」というおばあさんが営む「かえで」という民宿に泊まった。その宿は10年以上前に廃業したという。
 今回の民宿は、当時の女将の息子が切り盛りしている。
 食事は、刺身やフライ、吸い物と野菜……味は悪くはないが、フライは冷えていて、冷たい団子のデザートは冬にそぐわない。広い食堂は暖房が効かず寒い。目の前にできた予約制の民宿の方が人気がありそう。
 ああ、これは俺と同じだと思った。お客が来たら、レシピを見れば簡単な夕食はつくれる。でも、酒が進んでつまみがほしくても思いつかない。果物を切りわけることも思いつかない。朝食なんてトーストとコーヒーが関の山。ましてや子どもの食事なんて無理。生活スキルがない人間は相手の思いをくんだ気遣いができないのだな。宿の主人に親近感を覚えた。
 きょうは27キロ、38000歩。毎日歩いているのに、肉刺がほとんどできない。
 筋肉痛も、立ち上がるのがつらいほどではない。靴がよいのか。テーピングの効果か、と考えたが、やはり歩いてきたからだ。 サルの病気がわかってから、自分が風邪をひかないように1日1万歩をノルマに薄い靴底の靴で走ったり歩いたりした。その効果なのかもしれない。(つづく

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