はじめて足の裏のテーピングをしてみた。
7時出発。昨日より寒くなり、旧道はひんやりして朝靄がたなびき、鳩の羽音が聞こえる。「朝はきれいなぁ」ってサルの言葉が聞こえてきそう。
20分で6番安楽寺。温泉付きの立派な宿坊がある。
旧道をたどる。キンカンやハッサク、黒ずんだ柿が枝からぶら下がる。真冬でもこれだけ果物や野菜がある四国は豊かだ。
8時前、7番十楽寺に着いた。愛染明王をまつっており、男女の良縁のみならず、染め物屋やアパレルからの信仰も厚い。そもそもはインドの神様だと思うけど、藍染と結びついたのは単に音がいっしょだったからなのだろうか。
旧道沿いにはちょくちょく火の見櫓がある。前回のお遍路でも火の見櫓を撮影した。きれいなものも、さびてしまったものもある。たぶん今はあまり使われていないんだろうな。それともスマホを持つ人が少ない田舎では今も活躍しているのだろうか。
吉野川が開いた広大な平野の北辺をさかのぼっている。時折「洪水時の……」という看板があるから、吉野川の存在がわかる。
学生服の店は、少子化でいずれ成りたたなくなるのではないか。小学校には二宮金治郎の像。「米の正規販売店 知事の許可…」という米屋も。今はもう正規とか非正規はないと思うが…。
右手の山側の仁王門をくぐり、さらにちょっとのぼって9時、8番熊谷寺に着いた。
スピーカーから御詠歌が流れる石段をのぼり、人がいないから大きめの声で読経した。
大原の三千院だったかで声明を聴いたとき、人の声の集まりで空間がゆがむように思えた。音じゃないけど、熊野本宮大社の旧社地は、杉の巨木が並び、木漏れ日が幾何学模様を描いて、空間が曲がっていると思った。読経も没入すれば、そんな感覚に近づくのかな。お経も聖書も祝詞も、意味がわからない「音」は、理性ではない感覚を刺激する一面があるような気がする。
里に向かっておりていく。農村集落にある9番法輪寺門前には野菜直売の店とたらいうどんの店がある。
きょう3つめの火の見櫓を見て、小豆洗大師を経て山側へ。
坂道の両側に表具屋や民宿がならぶ。相撲取りの前掛け?もつくっているようだ。なぜここに表具屋さんが2,3軒もあるのだろう。
すぐ寺かと思ったら、「石段333段」という看板があった。100段ほどのぼるとわき水とお堂がある。10余年前、88番から歩いてきて、この階段がつらかったことを思い出した。
さらに200段余りのぼると本堂だ。石段で会った地元のおじさんは「裏に秘仏がある。見ることはできけど、なんでも願いがかなうと言われてます。建物は落書きだらけだけど」。確かに、蔵のような建物は落書きだらけ。
さらに上にのぼると、国重文の切幡寺大塔がある。大坂・住吉大社の神宮寺にあったが、明治政府の命令で廃寺となり、この寺の住職が明治6年に買い取り、10年かけて移築した。明治の廃仏毀釈の犠牲のような存在だった。
塔の前から、吉野川がつくった広大な平野を見下ろすことができる。高台にのぼると、地域の成り立ちが見えてくる。
旧道を吉野川方面に向かう。途中、農協と古いスーパー、饅頭屋、本屋もある集落を抜ける。本屋が残っているのがうれしい。
季節はずれのコスモスなどのかわいい花を見ると、たまらない。
12時半、吉野川の堤防に出た。沈下橋をわたると、善入寺島という日本最大の川中島だ。東西6キロ、南北1.2キロ。506戸3000人が住んでいたが、強制退去で1916年までに無人になった。
当時の住民の子孫らが今も農地の占用許可もち、550戸が農業を営みながら「宝の島」を守っているという。島は竹林に囲まれている。土砂が削られないように植えたのだろう。メキシコのソチミルコを思い出す。
広大な農地にチーチクチクというヒバリらしき声が響く。大根、白菜が植わり、黄色い菜の花の畑を見ると、となりから「きれいやなあ」って声が聞こえてきそうな気がする。
若松英輔が「死者がそばにいるとき悲しみを感じる」と書いていた。涙が出るのはそばにいるからだと思えたら、悲しみはなぐさめになるのかもしれない。
40分かけて島を横断し、反対側の沈下橋で右岸にわたった。トイレのある公園で休憩する。近所のおじさんは「ぼろぼろになっても靴を替えたらあかんよ。足がくわれるから」。肉刺ができるということだ。「くわれる」という表現が新鮮だ。
線路を渡るとつぶれた畳店がある。遍路道にはあちこちに廃業した畳屋がある。ちょっとした集落には職人がいたのだ。サルといっしょにおじゃました東予か香川の畳店ももうないだろうなあ。
2番から旧道をずっと歩いてきたせいか、一度もコンビニを見なかった。食べ物を買える店もほとんどなかった。
吉野川の右岸の山際にある藤井寺に近づいてもまちがない。昼飯を食べそびれた。寺の直前の民家でおじさんが立派な大根を積み上げて洗っている。生活の息吹が見えるのが遍路道の魅力だ。
14時20分、藤井寺に到着。約10キロ歩いて、左岸の山から右岸の山へ吉野川の広大な谷を横断した。藤井寺は山ぎわのしずかな寺だ。春は桜が美しかろう。本堂の天井の竜の絵は迫力がある。
21キロ歩いたが、昨日より足裏の痛みは少ない。テーピングの効果かもしれない。
15時に「旅館吉野」にチェックインした。建物は新しく、部屋に洗面台やドライヤーが備えてある。
夕食時、鎌倉から歩きに来たという夫婦が隣に座った。旦那は昔、茨木に住んでいたことがあり、大の阪神ファン。天満とか十三とかでよく飲んだという。
夫婦で歩けるってうらやましい。(つづく)
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