レイザル供養のため、10年ちょっとぶりにお遍路をすることに。
大阪からバスで2時間半、午前10時に鳴門西PAに着いた。
1キロほど県道を歩くと、見覚えのある一番札所・霊山寺が見えてきた。
2004年からはじめたお遍路では、サルはお賽銭と納経は欠かさず「スタンプラリーや」と言っていたが、僕は便所を借りるぐらいだった。
今回はじめて本堂前だけは般若心経を唱えた。大師堂はお賽銭だけだけど。
お遍路用品の売店をのぞくが、白衣を着るのはためらわれ、杖もモンベルのアウトドア用品だ。
県道を1.4キロほど引き返すと11時に2番極楽寺に着いた。杉の巨木がそびえ、本堂がかわいい。寒いからか参拝客は僕だけ。
墓地を抜け、県道と並行する旧道を歩く。たばこ屋兼理容店がつぶれている。遍路道には廃業したたばこ店が多い。ほとんどの男がタバコを吸い、少年たちもそんな大人に憧れた。ある意味、大人の男が自信をもって生きられた時代の象徴だったのだろう。
2.6キロ離れた3番金泉寺には11時50分着。境内に梅林があり、すでに咲きはじめている。サルが見たら喜ぶだろうなあ。納経所のおばさんは歩き遍路の冊子をくれた。
顔中アカだらけのおばあさんが「話を聞いて」と寄ってきた。
「北海道から遍路に来て2カ月歩いている。お財布をなくして、泊まるのは野宿だけど食べ物がない。食事代500円もらえませんか」。どうせうそだが、信仰の場所だし、100円だけ渡した。「500円玉はありませんか」としつこいから「ない」と断った。お寺の掃除をしてるおばさんは「あの人には困ってるのよ」。自転車に乗った夫と思しき男に「500円はもらえなかった」とか言っていたから、地元の夫婦なんだろう。
ここまではビブラムの5本指の靴を履いていたが、荷物のせいか足の前半分が痛くなってきた。家から1万歩歩いたし、メレルにはきかえた。
旧道沿いに病院や新聞販売店、商店だった家屋がならぶ。昔はムラの中心だったのだろう。土道の遍路道がちょこちょこ現れてほっとする。
休憩所を兼ねたお堂の近くには、夏みかんかハッサクがたわわに実る。足下にはスイセン、梅の花も。冬と春が共存している。「甘いにおい! きれいなあ」ってサルが見たら喜ぶだろうなあ。
石仏や碑があちこちにある。信仰の道沿いに住む人たちは、はるか昔から見知らぬ巡礼を受け入れてきた。他人が家の前を通るのがあたりまえなのだから、外に向けて開かれた感性が養われたことだろう。
13時、愛染院の近くには「岩田ツヤ子の碑」があった。戦時中、藍栽培が禁じられたが、藍は毎年栽培しないと種子が絶えてしまう。佐藤平助の依頼で、ツヤ子は憲兵や警察の目を盗んで藍をつくりつづけ種子を保った。そのわきに「馬頭観音」と記された石が10体以上ならぶ。馬頭観音は朝鮮との交流を意味するのか。藍染めと関係があるのだろうか。
15分ほど歩くと「藍染庵」があり、またツヤ子の碑があった。
ここから山の方にのぼる。梅林の甘い香りは涙を誘う。中腹の4番大日寺には13時半に着いた。
ふたたび20分ほど里へ下ると寺に入り、「五百羅漢」が飾られた建物がある。入場料が必要だから参拝しなかったが、あとで記録を読み返すと10年前は見学していた。
ここは地蔵寺の奥の院にあたる。階段を下り、腰丈ほどの梅がならぶ参道を歩くと、5番地蔵寺の境内に入る。銀杏の巨木があり、大師堂の屋根の下にカラフルな装飾がほどこされている。鏝絵だろうか。
この間、遍路の休憩所やベンチがあちこちにあった。地元のお年寄りが座って談笑していた。お接待文化がお年寄りに住みよいまちにつながっているのかもしれない。トイレが多いのもありがたかった。
15時半、民宿「寿食堂」に到着した。
夕食は鴨鍋。思い出した。前回もここに泊まった。朝、料金を払うのを忘れて出てしまい、追いかけてきたから多めに払ったんだ。
若夫婦と小学生の娘2人がいる。
「乞食遍路」の話になった。
「身体障害者です」と手帳を見せて名乗り「お接待して」というから無料で泊めて食事も出した。「お酒もほしい」というから「それは実費で」と言った。ところが、お供えのお金を全部もって翌朝出て行ってしまった。
若い女の子が「お接待で泊めて」と言うから泊めてあげたら、「食事もください」と言って食べたのはよいけど、翌朝早くなにも言わずにいなくなった。
家に泊めてあげて、朝になったらなにもかも盗まれたという人もいるらしい。
そういう遍路は淡路島に橋が架かってから増えた。四国に行けば食えると、たくさんわたってきて、無料の小屋などを拠点にしているという。
ビールと酒を頼んで1泊2食7900円。
このまま歩くと3日ほどで、サルといっしょに歩いた立江寺や恩山寺に出てる。平常心で歩けるだろういかと考えると眠れなくなった。(つづく)
コメント
コメント一覧 (2件)
最近は乞食お遍路というのが増えて昔ほどお遍路も軋轢が時々あるんですかね。平常心で行けるとよいんですがね。閉まった店も増えてきているんですかね。そうすると不便で寂しくなってきますね。
乞食遍路や病気の遍路は、1970年ごろまで多かったようです。
世の中が豊かになって、明るいレジャー感覚の遍路が主流になっていたけど、
最近の格差拡大でまた乞食遍路と呼ばれる人たちが増えてきたんでしょうね。
それらを体感することも含めて、歩くのは有意義です。