コンビニでバータイプのチョコとお茶を買う。
10時に熊野川の道の駅に着いたら、外国人客を乗せて観光の川舟が出発するところだった。
河原で組み立て、11時に出発する。
念のためにスプレースカートをかぶせたら、いきなり瀬に突入した。ざぶんざぶんと水がとびこんでくる。ただ、スプレースカートを腰の位置に装着したのは誤りだった。これでは水がたまって、腰の隙間から入ってくる。スプレースカートは胸に近い位置に固定しないといけないのだ。
迫力のある瀬のあと、もうひとつ小さな瀬。スピードが出て心地よい。
あちこちに大岩が落ちているのは6年前の水害のせいだ。川沿いの古道も水害でつぶれてしまった。
最初のカーブが小鹿(11:27、3.57キロ)。移動平均速度7.0キロと、さすがに瀬がある川は速い。
11:45、左岸に白い大きな岩がある。昨年観光船に乗ったとき、「鬼の背骨と伝えられている」と説明された。
まるで恐竜の骨のようだ。予備知識がなければ通りすぎてしまう。
水の上にせり出す岩がある。これも何か名前があった。鐘岩だったろうか。パッと目が行くような風景にはたいてい名前がつけられているものだ。
スリル満点の瀬がまたひとつ。バランスを取らないとチンしそうだ。さらにもうひとつ瀬を越えると、左岸が浅里の集落と、滝のあるキャンプ場だ。きれいな里なのだが、砂利の浜がこんもり盛り上がりすぎて、水面からは里の展望がきかない。
上陸してみると、イチョウが黄色っぽくなっている。もうすぐ冬なのだ。6.4キロ(移動平均速度6.9キロ)
川舟の上に箱形の部屋を設けたものがあった。これが落ち鮎をつるときの「屋形」なのだろう。
ペットボトルでつくった浮きがあった。何かの罠の目印だろう。モクズガニ、あるいはウナギかも……
12:18、浅里の下流の島は昼嶋という名だった記憶がある。熊野権現が昼食をとったとされている。
柱状節理は時に仏像のように見える。やわらかな岩肌は横になった観音のよう。まさに千体仏だ。
観音の足もとの岩は赤ん坊か子どものように見える。
千体仏などと名づけられないのは、熊野権現の支配下だからだろうか。
水量を測る測定器だったっか…?
12:34、支流の高田川が流れこむ。
ちょっと高田川をのぼってみる。熊野川は白っぽくにごった黄緑色だが、高田川に入ると色が深緑になり、川底の岩が透けてみえた。上流にダムがないからだ。熊野川も昔はこんなにきれいだったのだろう。浅里の人も、ダムができてアユがいなくなった、と言っていたのを思い出した。
高田川と熊野川の合流点で、くっきり2色にわかれているから水のきれいさのちがいがよくわかる。対岸は採石した跡だろうか、切り立った崖面に縦の筋がきれいにそろっている。
13:00、北檜杖の橋。左手に集落が見える。12.2キロ(移動平均7.2キロ)
浅里をすぎたらもう瀬がない。流れもほとんどない。向かい風だからパドルを動かしていないと進まない。
目前に屏風のようにそびえる千穂ケ峯を見ながらこぎつづける。あの険しい山塊の向こう側に新宮のまちがある。
帆をはるための骨組みがある川舟が小石の河原にあった。以前会いに行った、川舟大工さんのつくったものだろう。
カムフラージュした取水口?は、製紙工場のためだろうか。今は使われていないようだけど。
13:35、御舟島(15.14キロ、移動平均6.8キロ)。
速玉神社の祭ではここまで舟が来て、島をぐるりとまわるらしい。岩の上に灌木が生えるだけの何もない島だ。
水害までは松などが生えていて、ご神体らしい威厳があったのかもしれない。
島をすぎると、河口の国道と鉄道の橋が見える。橋の向こうの左岸には製紙工場?も。
磯の香りがしてくれたら海を感じられるが、逆風だからにおわない。試しに水をなめたがしょっぱくなかった。
13:55、国道の橋のちょっと手前の河原に上陸した。16.8キロ。移動平均速度6.6キロ。最後はとろ場ばかりだからスピードもでなかった。
3時間弱の旅だった。(おわり)
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