reizaru– Author –
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熊野古道・紀伊路⑤国の境、ムラの境(山中渓〜布施屋)
仇討ちも事故も押し付け合い 5月はじめ、JR紀勢線の山中渓駅におりると、燃えるような新緑の山峡にウグイスの声が響いていた。峠道を走るランナーが5人おりたが、コロナのせいか観光客の姿はない。 駅前から峠に向かう県道を歩くと、ロードレーサーに次... -
熊野古道・紀伊路④豊臣と石綿の悲劇
虚栄の塔 JR和泉橋本駅(貝塚市)近くの正福寺が鞍持王子の跡らしいがわからなかった。駅から20分ほどの南近義(みなみこぎ)神社は、鎮守の森に囲まれ、境内は明るい。もとは丹生神社と呼ばれたが、明治40から42年にかけて南近義地域の神社をまとめて南... -
熊野古道紀伊路③泉州で神話と差別体感
大社になれなかった氷川神社 大仙陵古墳からは、工場と住宅が農村を蚕食して形成されたちょっと殺風景な町をたどる。「日本最古の戎宮」石津神社を経て門前町風の街並みに入ると大鳥大社だ。寺社が中心にある町はどこも独得の落ち着きがある。「大社」と... -
熊野古道・紀伊路②釜ヶ崎から仁徳陵へ
飛田新地と釜ヶ崎 日本1高いビル「あべのハルカス」の足もとは全国でもめずらしいディープな町だ。 飛田新地は置屋の店先に女の子と客引きの「やり手婆」が座っている。気に入った子を選んで20分1万6000円ほどで遊べる。その西には日雇い労働者の町・釜... -
熊野古道・紀伊路①庚申信仰
舟運が復活 熊野を詣でる平安京の貴族たちは伏見から舟に乗り、淀川を下って約35キロ南の大阪・天満橋の八軒家に上陸した。同じ航路を江戸時代は三十石舟が下り半日、上り1日かけて結び、明治になると蒸気船が往来した。 1910(明治43)年に京阪電鉄が... -
ふじのくに茶の都ミュージアム202010
1990年代のはじめ、僕が静岡にいたころは、日本一のお茶どころなのにお茶についての博物館がなかった。静岡の行政の文化軽視を典型的に示しているとよく話していた。 いま、金谷の台地上の、大井川を見下ろす茶畑のどまんなかに 「ふじのくに茶の都ミ... -
大井川の茶と黄金の国
大井川鐵道の福用駅から徒歩5分、古民家を改修した「野菊の宿」は、立派な大黒柱が2本もある家のつくりや、復元したいろりの雰囲気がすばらしい。ボロボロになっていた江戸時代の民家を、わずか数百万円で修復したという。 訪ねた日は、オーロラの写真... -
草津楽泉園・重監房へ 八ッ場ダム20200929
さいたま市から前橋で関越道を下りて、しばらく走った道の駅「くらぶち小栗の里」で休憩したら、道祖神がいくつも展示されている。平成の合併前まで独立村だった倉渕村は双体道祖神が多いという。埼玉北部や群馬にこの形の道祖神が多いらしい。たしか山... -
見沼代用水の通船堀 20200928
1731年につくられた日本最古の「パナマ運河」である見沼通船堀は国の史跡に指定されている。 JR武蔵野線東浦和駅におりると、農村に開けた新興住宅地だ。 その一画のうっそうとした竹やぶが通船堀の公園だった。 駅に近い方が代用水の西縁、600... -
高麗博物館「ハンセン病と朝鮮人」 20200906
歌舞伎町のすぐ北側、韓国やベトナムなどの店がならぶ大通り沿の雑居ビルの7階にある。民団のビルらしい。ボランティアのおじさんがガイドをしている。 ハンセン病は、あまりにも徹底的に排除されたためにその差別のひどさが一般の人々に気づかれないほ...