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土佐遍路 安芸へ

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土佐には素朴な墓が多い

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1袋100円

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防波堤の遍路道へ

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安芸市街

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ハウスの向こうに沈む夕日

 12時45分、国道にでる。「高知48キロ」の看板。
きょうの宿泊地の夜須まではまだ24,5キロある。
すべて歩くのはちょっと無理そう。
 無人スタンドの良心市で5個100円のトマトを買ってほおばる。
当然ハウス栽培だろうけど、みずみずしくて味が濃くて、さすがとれたて。
 しばらく海辺の防波堤の上を歩く。海が広くて気持ちいい。
テトラポットの上には、釣り人があっちにもこっちにも。
防波堤沿いの公営住宅は古い長屋だけど、自分たちで勝手に増築していて、生活感があふれている。
高層住宅よりも人が生きている、と実感できる。

 国道にでて、大山峠をこえて、13時50分に道の駅に着く。
猪カレーは我慢してわかめうどんを食べる。

 堪えられるだろうと思っていた膝裏の痛みが左右両方ともひどくなっている。
こういう痛みははじめてだ。
 ステッキを手に、国道をひょこたんひょこたんと歩く。
 年をとると、足が腰痛やら膝痛やらで歩くのがつらくなる。
たまにこういう経験をすると、高齢者がいかに苦労しているか、町がいかに年寄りにとって苦痛な空間かがわかる、というか、ふだんそういう想像力を失っていたことに気づかされる。
こういうのも遍路の功徳のひとつかもしれないな。

 15時5分、伊尾木川、次に安芸川をわたって安芸市内に入る。
(15時45分。高知まで39キロという標識。16時すぎに「37キロ」)
休憩して立ち上がると、痛みはさらに増している。
「あたしゃ、ぜんぜん平気やで。ほれ、ほりゃ、あよいしょっと」
 と、お調子者のサルがうれしそうに踊る。

 目の前に「球場前」の駅があった。これにてリタイヤ。
16時52分の電車で夜須へ。
 途中、松の防風林と、長い長い砂浜がつづく。
まもなく、太平洋のむこうの山のかなたにオレンジ色の太陽が沈んだ。

 岬の上の国民宿舎からの展望は抜群。
食事は少なめだが、旅館の食事はいつも食べすぎてしまうから、このくらいがちょうどよい。
追加注文した、鰹節をたっぷりまぶして揚げた「土佐豆腐」は日本酒にぴったり。

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手結の港を上から

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手結港、後方に国民宿舎

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可動橋

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デッキのある電車

 翌12月31日朝、ふとんのなかで、歩けるかどうか足を曲げ伸ばししてみる。
なんとか曲がる。
いけるかなあと思ったが、起きてちょっと歩いてみたらダメだった。
夜須の駅まで散歩する。
 江戸時代に開かれたといいう手結の港は石積みで囲われ、手作り感あふれている。
港の入口にははねあげ橋(可動橋)がある。
 見に行くと、完成したのは2002年だ。
めったに通行できない橋に、国道のような2車線の橋が必要だったのかどうか。

 夜須駅前は「道の駅」になっていて魅惑的な空間だ。
路上の屋台でコーヒーを売っているおばさんがいる。
新鮮な豆をつかっているようで、味もなかなか。

 夜須から奈半利までの電車は海側にデッキがついていて楽しい。
トンネルを抜けるときは寒いけど、松並木の浜の展望は抜群だ。
 奈半利から室戸までバスで向かい、海辺のアコウなどの森のなかをちょっと歩いた。
「初日の出ポイント」という案内板がでている。
 明朝は多くの若者でごった返すにちがいない。

 2007年は、徳島の神山温泉で迎えることにした。 (つづく)