土佐遍路 最御崎寺と津照寺
日がとっぷり暮れてこの日の宿の「ホテルニューむろと」に到着する。
「ニューってつくとろころはたいてい古いんや」と話しながら車を運転したけれど……
玄関には、レイザル様、○○様 △△様……と、3組の名前が書いてある。
え? 3組だけなの? と思ったら、私ら1組だけだった。
受付はかわいいおじいさん。支配人らしい。
予想どおり、施設はかなり古い。でも食事はいい。とくに尻尾が紅色をしたアジのフライがうまい。
ここの世話係のおばあちゃんが強烈な個性を発揮している。
到着すると海洋深層水のミネラルウオーターのボトルを「お接待」してくれる。
「おまんの腹よりフットイ日の出が見えるきに」と私らの腹をポンとたたき、
「この男よりちょっと男前の神田マサキさんにマッサージしてもらって、高田美和さんがお遍路で来て……」
と語りつづける。
満腹でドデーンと椅子に座ってると
「おまんが臨月みたいな腹しとってどがいしゆ。(髪の毛がはねてるのを見て)上はねらさんと下はねらせ。孫つれてこい。そしてら金一封包むから」
そして、毒舌をひとしきりはくたびに、大阪の芸人のように
「失礼しました」と深々と頭を下げて
「ごゆっくりおくつろぎください」
ミカンやらなんやらいろいろ接待してくれる。
申し訳ないやら圧倒されるやら。(1228)
12月29日朝、部屋の窓の真ん前の海から朝日がのぼる。
外は猛烈に寒い。この冬一番の寒気だそうな。
7時半に出発。弘法大師が修行して空海という名前をつけるきっかけになったという洞窟をちょいと見て、登山道にとりつく。
「鐘石」という岩がある。
石でたたくとまるで金属をたたいたようなカーンという音が響く。
なぜだ?
40分ほどのんびりして岬の西側の車道を下る。
室戸の街が眼下に見渡せる。
国道におりて、国道とそれと並行している旧道を歩く。
どう見ても民宿なのに「ホテル」と名づけた宿が2つ3つ……。
見栄なのか、客を錯覚させるためなのか。
「昭和九年海嘯襲来地点」といった石碑があちこちにたっている。
南海地震の年ではない。室戸台風の高波のことだろう。
「25番に行くんかね? このへんも昔は畑ばかりだったけど、東京でセイカがあやってから浜もぜーんぶ埋めてしもた。新しい港ができたけど、漁協は合併するし。お父さんはマグロ漁船に20年間のっとった」
などなどと、おばさんが話しかけてきて、津照寺への道を教えてくれる。
高知の人は大阪の下町のおばさんみたいに人なつっこい。
市役所のある中心街に入ってちょっと歩くと寺だ。
108段の階段をのぼると本堂がある。10時着。
門前にたつ地蔵さんの髪型がいかしている。
「パンチパーマみたいや」
寺の石段をおりて町中を歩くと鮮魚店が大にぎわい。
大きなグレ、紅色の尻尾のアジ、金目鯛、イカ……どれも目が澄んでいて新鮮そう。
川沿いにはイカや魚が洗濯物のようにほしてある。
そういえば、前回も感じたが室戸は丸ポストが多い。
保存しようと意識しているようには見えない。
じゃあ、なぜこの周辺だけこんなに残っているのだろう。 (つづく)