温泉津温泉と石見銀山2
みな朝風呂に入るのだ。
6時すぎ、きょうは「元湯」ではなくて、大正時代に地震によってわきだしたという「薬師湯」へ。
浴槽は1つだけ。湯の質は元湯のほうがいい。
ここの売りは二階の休憩ロビーと3階の展望テラスだ。無料でコーヒーがのめてのんびりできる。
これで300円は安い。
朝食後、銀山で採掘した銀を船積みしたという沖泊まで歩くことにする。
昔は山をこえる「銀山街道」があったが、今は海沿いが埋め立てられて道路ができた。
海沿いをぐるり歩いて20分ほど、暗いトンネルを抜けると、深く陸地に切れこんだ入り江があらわれる。
入り江の一番奥に、銀山の頃からと思われる木造の建物がある。集会所は宿泊できるようになっている。
幅2メートルほどの道の両側に家がならんでいる。昔はびっしりと家がつまっていたが、
自然に朽ちて倒れ、歯が抜けた場所は畑になった。
この集落に住むおばあさんに会った。
70歳代かなあと思ったら大正五年生まれの90歳という。
背もまっすぐで、肌はきれいで、話し方もしっかりしていてそんな年齢にはとても見えない。
山のなかのムラ出身で、高等科をでたあと尼崎で看護をまなんだ。
13年間尼崎ですごしたあと昭和19年に浜田の陸軍病院に来て、そのときの衛生兵と結婚した……。
そんな話をしてくれた。
集落の家には「コメヤ」とか「チャヤ」といった屋号があるから昔は商店も多かったのだろう。
蔵の多さも、昔の豊かさを物語っている。
代官所跡の駐車場に車をとめ、バスで一番上まであがって4キロほど歩いておりてくることにした。
坑道を見学したあと、川沿いをくだると、大久保長安の墓やら、明治時代につくったはいいけど失敗した精錬所の跡やらが点在している。
大きなヤンマが悠々とうかび、花にはアゲハチョウが群がっている。
代官所やらなんやらに使われたという建物があちこちに残っている。
下りきったところが「大森」という集落で、町並を整備している。
自動販売機まで木枠で囲っているのもある。
観光客が増えたためか、ギャラリー系の店がずいぶんある。
とりわけ若い人が入っているのが「群言堂」という大きな旧家を改造した店だ。
服飾関係やら食器やら台所用品やらが広々とした建物内にならび、
中庭に面した部屋には「ロハス」系のカフェがある。のんびりするにはちょうどよい。
妻籠や馬篭、内子、長浜……整備した「町並」をいくつも見ているとパターンが見えてきてしまう。
ここ大森にもひとつ生活感が感じられない。
一度は見る価値はあるが、2度来たいとは思わない。
その点、温泉津はもう一度来たいと思わせられた。
生活感と湯治という要素とくわわり、歴史の陰の部分も感じるからだろうか。
温泉津と石見って、どこかの外国の都市に似てるなあ、と考えていてふと思い立った。
ベトナムの古都ホイアンだ。
ホイアンも町並が世界遺産になって、観光客が集まっている。
旅行者にとっては独特の居心地良さがあって、何日も滞在したくなる。
石見銀山と温泉津も、世界のバックパッカーを集める時が来るのかもしれないなあ。